神の道 人間関係の価値尺度となる精神
人という字のごとく、人は人と支え合って生かされている存在ですから、一人ぼっちの孤独では生きていけません。
世捨て人となって家族と別れ、職を捨て、南の無人島に裸の体一つで暮らして八年、幸せだと思ってマイペースを通している熟年男性だって、月に一度は隣の有人島まで出向いて行って、お米、調味料、燃料、釣具などを調達せねばならず、そのお金は大阪にいる実のお姉さんが不憫に思って仕送りしてくれているおかげ、てな具合で、孤立無縁で生きられる人はいません。
大宇宙根元の大いなる神様の御守護の元、人は人と係り合いながら、物資文明の人間社会を循環する仕組みの中で、自己の職業や役割に責任を持って社会に貢献しつつ、他者の貢献の恩恵をいただいて、生かし生かされ努力して、自己の存在を確立しています。
反対に、人間社会の中にも、自然界と同じ厳しい生存競争の原理も働いています。
人として生きていくこと、よりよく生き抜いていくことは甘くはありません。
様々な立場で生きている人たち、様々な個性を持った人たち、様々な霊的レベルの人たちが構成している人間社会の中で、自己を正しく保って、よりよく自己発揮をせんがためには、人間関係の価値尺度の会得と、その実行が望まれます。
それでは、人間関係の価値尺度についての説明に入らさせていただきます。
まず、常識から。西洋ではTPOということで、時と場と場合に応じて、服装や言葉づかいや態度に気をつけるということですね。
それはそれで正しいことです。
そのことを神様の常識で表現するとこうなります。
「人間は、場と関係と態度で決まる」ということです。
そこがどういう場であるのか、次に相手の人と自分とはどういう関係にあるのか、したがって自分はどういう言葉づかい態度で交わるのが正しいことなのかをよく勘案して、人間関係を構築していかなければならないという訳です。
常識である処の「人間は、場と関係と態度で決まる」という基本を、礼儀正しく行じていくと、礼の心は礼操へと成長して、己の礼の心がよく操縦(コントロール)できるようになります。
この基本を遂行するにあたって、己のマイナス感情や本能から出てくる煩悩を正して行じていくと、情の心は情操へと成長して、己の情がよく操縦(コントロール)できるようになります。
この基本を遂行するにあたって、ともすると易きに流れやすい己の心に正しい気力を奮い起こす訓練を行じていくと、気操へと成長して、己の気の力がよく操縦(コントロール)できるようになります。
この基本を遂行するにあたって、己の志に向って正しく行じていくと、志は志操へと成長して、志という気高い精神がよく操縦(コントロール)できるようになるのです。
これら礼操・情操・気操・志操が発達して「一霊四魂をひらく信念の言葉」の祈りで、親しみ礼節をもってとお唱えしている礼節や、情懐・気節・志節となって、いかなる抵抗や迫害や困難があろうともこれ失わないでこの常識が発達すると、一段上の良識やもう一段上の見識へと向上して、単なる知識とは違うより本質のものが魂の内側から出てきます。
「人間は、場と関係と継続態度、技量、まごころで決まる」とグレードアップするのです。
このことは、もうずい分と昔に、正神崇敬会の教えとして会員信者の皆様にお教えしていますから、賢明な古くからの信者の皆様におかれましては、ここで私が殊更説明を加えなくとも、感得いただいていることとして、見識よりさらに一段上の意識へとお話を進めさせていただきます。
「人間は、場と関係と継続態度、技量、まごころで決まる」とする見識がよく実践できて、大いに鍛えられていくと胆識へと変化するのです。
胆識という言葉は、耳なれない言葉で、世俗一般にはあまり知られていませんから、皆様が初めて聞く言葉だと思います。
試しに辞典を引いても出ていない物の方が多いはずです。
見識が胆識へと発達すると、「人間は、場と関係と継続態度、器量、徳で決まる」となるのです。
良いことを変わらない姿勢で実行し続けて、習慣化して、人格霊格は向上します。性格も変わります。
「霊格向上の祈りで唱える高い心・深い心・広い心・豊かな心・清らかな強い心・感謝の心・誠心で励みますの意味をよく感得して、己の心の器を大きく育てて、世界のあるがままを大らかに包容力をもって受け止めて生かすのです。己に厳しく反省心と感謝の心で歩むのです。
人間いかなる状況にあろうとも、この世に生かしていただいている神様への感謝が先です。大前提です。その中での悩みなり未解決の問題でしかありません。
この世に生かされている総ての人は、他の人とつながっています。
今を生きる万人は、天之御中主大御神・国常立大御神が宇宙をお創りになられた誕生時から138億年の宇宙の進化と、この地球上で生命誕生から40億年かけて、生命が進化を重ねてきた最先端に位置する神の分御霊であり、人間は神様が元親の親戚兄弟です。
今を生きる貴殿から反対に先祖を遡ると、三十代先祖でその数は百万人を超えます。四十代先祖で一兆九九五億人、五十代先祖で千百二十五兆人、六十代先祖で百十五京三千億人と天文学的な数となって、人類総ての先祖がつながっていきます。
この世に生かされている総ての人は、普くの生命ともつながっています。
生命の進化の過程を遡れば人間の手前が類人猿、その手前がネズミかモグラのような小型の哺乳類、その手前が両生類、その手前が魚類、その手前が軟体動物、その手前が原生動物、その手前が動物性と植物性のプランクトン、その一歩手前が細菌、その手前がウイルス、その手前が鉱物、その手前が鉱物を構成する分子、その手前が原子、その手前が原子を構成する素粒子、その手前が素粒子を構成する宇宙エネルギー、その大元に天之御中主大御神・国常立大御神の御心、御旨が存在しているということで、総ての人は普くの生命とも神様とつながっています。
現在この世に生きている貴殿は、奇跡の存在なのですから、自分を芯から大切にして、人間として生かされ、万物の霊長として人間に特別に与えられた使命である宇宙の進化に寄与するという真理に則して、世のため人のため、自然界のため、大元で御働き下さる神様のために、自分が出来る何らかの貢献をして、果たしをしなければなりません。
この世に生きる総ての生命をも尊重して調和して生きるのです。
自分が出来る範囲でそれを実行に現す徳分の発揮が、人間社会で生かされている一人でも多くの人々に望まれるのです。
神様から業因縁マイナスの邪魔を祓っていただきながら己の願い事が叶えばそれでいいんだと、利己欲の達成のみに神人は甘んじていてはなりません。
一人一人の正神の崇敬者の皆様が己の徳性を育てながら、随時随所で徳分を発揮するのです。
これは、頭の計算、打算なんかじゃないんです。
人間の良心の中核である誠から現れる徳という気高い慈愛あふれる精神を、無心に実践する人に神様はゆるぎない厚い御守護を下さられます。「御霊磨きをお願いします」と願い出られる向上の志が有る方々は日々、人格の陶冶と、人間関係の価値尺度を常識から良識・見識へ、見識から胆識へと高める修養を重ねられまして、正しく、立派に判断していきいき明るくすがすがしく、そして芯から強く正神の御心に叶う創造人生を歩んで参るのです。
(本話は東洋思想の大家である安岡正篤先生の著書と講話からの教えと私儀笹本宗道の教えが融合して完成したものです。気操・志操・情懐・気節・志節・胆識という概念の解説は安岡先生の教えによります。参考文献・安岡正篤講話録活眼をひらく「東洋人物学」講義より, PHP研究所発売)