◎二宮健二さん◎メーカー勤務
▶ギリギリで始めた受験勉強が実り、見事大学に合格
正神崇敬会との出会いは、当時、高校三年生だった私のことで、母(164ページ)に登場している二宮明美さん)がお知り合いの方から先代の宗園先生をご紹介していただき、相談にうかがったことがきっかけでした。
勉強は嫌いなほうではなく、高校二年生まではごくふつうに勉強に取り組んできた私でしたが、不思議なことに三年生に進級した春から、急に勉強に対する意欲がなくなり、机の前に座っていられない状態に陥ってしまったのです。
母が宗園先生に鑑ていただいてわかったのは、私にとって四代前の祖母にあたる人の霊が成仏しておらず、その影響が私にも出ているとうことでした
神様のご守護をいただき、なんとか高校の授業にだけは通うことができましたが、模擬試験すら受ける気がしない、やる気のない状態は相変わらずつづきました。
それから時が流れ、12月に入ったある日のこと、ある瞬間を境にいきなり勉強する気が湧いてきたのです。まさにそのころ、四代前の祖母の霊が成仏して霊界へ旅立たれたことを、後日、母から知らされました。このような状態の変化に自分でもただただ驚くばかりでした。
1月にある国立大学の一次試験まであますところ一ヶ月というところでしたが、宗園先生に合格祈願のお祓いをお願いし、そこから集中的に勉強に取り組みました。
国立大学二校、私立大学五校を受験して、おかげさまでいくつかの大学に合格させていただくことができました
二年生まで勉強してきた蓄積もあったとは思いますが、ブランクがブランクです。ふり返ると、それ以前に勉強で得ていた昔の知識なども活用させていただき、このような結果をいただくことができたと、神様のご守護に深く感謝したしだいです。この貴重な経験以来、私は神様に強く心を向けるようになりました。
▶海で溺れかけたところを神様に救っていただく
大学二年生の夏休みのこと。千葉県の親元に帰っていた私は、友人と三人で鴨川の海水浴場に出かけようという話になり、前日の晩からドライブがてら車で出かけました。お盆明けの8月16日だったと記憶しています。
仮眠をとり、朝、目が覚めてから、ちょっとひと泳ぎしようかという話になりました。朝の八時ごろだったと思います。友人の一人はカナヅチだったため、もう一人の友人と私とで、それぞれ大きな浮き輪を持って海に入りました。沖のほうにブイが見えたので、私たち二人は、そのブイを目指して泳ごうということになりました。それほど波はなく、浮き輪につかまりながら、私たちは順調にブイのところまで泳ぎ着きました。
ブイにタッチして浜辺に引き返そうと泳ぎ出したところ、突然、後方からかなり大きな波を被りました。その勢いで浮き輪が飛ばされ、海中に沈んだ体は、水流にもてあそばれる木の葉のようにグルグルと何回転もしたことを覚えています。
私たちはやっとのことで海面に顔を出すと、とにかく足がつくところまで戻ろうと必死で泳ぎました。しかし、泳いでは波にさらわれて海中に沈み、海水を飲むという苦しい思いをしました。そんなことがくり返されると、友人も目つきが朦朧としてきました。
浜辺では、もう一人の友人が焦っている様子が目に入り、そうこうしているうちに、黄色いジャケットを着たライフ・セーバーが遠くのほうから走って来る様子が見えました。じきにライフ・セーバーの方が浮き輪を持って私たちのところまで泳ぎ着き、船が来るまで待っているようにと声をかけてくれました。その後、二人とも到着した船に引き上げていただき、事無きを得たのでした。
この一件で私は海の怖さ、自然の威力というものを、身をもって知ることになりました。
後日、母が宗道先生にこの一件についてお話しし、神様にお取次ぎいただいたところ、母のご守護神様が、竜神界の建速素盞鳴大御神様に働きかけてくださり、溺れかけている私たちの姿が監視員の目にとまるようにとご守護くださったことがわかりました。
私たちはこうして、神様に命を救っていただいたのです。母からこの話を聞かされたときは、あまりのありがたさに言葉を失いました。
▶希望する部署への転部が実現
社会人になってからは私自身、仕事の面でのご相談など、頻繁に宗道先生のもとに通わせていただくようになりました。
平成3年(1991)の春、大学卒業と同時にある精密機器メーカーに就職いたしましたが、自身の希望とは裏腹に、配属されたのは電気系の仕事を担当する部署でした。大学で電気系の分野を専攻したもののなじめず、将来は環境問題に貢献できる化学の分野を仕事にしたいという希望がありました。大学での専攻ですから、いたしかたないと言えばそれまでですが、配属先を知った瞬間、頭が真っ白になったことを覚えています。
実際に配属されてからも、好きになれない気持ちが先に立ち、仕事に対して興味を持てずにおりました。宗道先生にご相談させていただくと、「せっかく就かせていただいた仕事ですから、三年間は頑張ってやってみましょう」と背中を押してくださり、仕事に対する心構えについてもなにかとご指導くださいました。
仕事の内容については本意ではありませんでしたが、おかげさまで上司や先輩に恵まれ、いい環境のなかで仕事に取り組ませていただくことができました。
それでも、化学系の仕事に就きたいという思いは変わらず、入社から一年後、上司に退職の話を持ち出したこともありました。ふり返ると本当に失礼なことをしたと思いますが、上司はそんな私を諭してくださり、開発中の仕事を終えるまでは頑張るようにと、励ましの言葉をかけてくださったのでした。
入社から三年たち、担当してきた開発の仕事が終了したところで一度は転職を考え、一社ではありますが別の企業をまわったこともありました。バブルがはじけた時期でもあり、その分野の専門知識や経験もない者を採用する余裕などあるはずもありません。簡単にはねられました。退職の意思を上司に伝えたうえで進めた転職活動でしたが、結局、上司のご配慮に甘え、引き続き同じ職場で働かせていただくことになりました。
その後、私はバイオテクノロジーの分野の仕事に就きたいという希望を抱くようになり、その夢を念頭に置いて仕事をするようになりました。そのころには職場の上司も、私には電気の仕事は向いていないということを見抜いておられ、生ゴミ処理機の開発というバイオ分野の知識を活用する仕事を担当してはどうかと、声をかけてくださいました。
こうして新しい仕事を担当させていただくようになると、バイオテクノロジー分野の開発を専門にしている部署で管理職をつとめている方と知り合う機会にも恵まれました。
とはいえ社内で職種を変えるというハードルは高く、ただ「やってみたい」「頑張りたい」というだけで移れるほど簡単なものではありません。やりたい仕事に就くためには、もっとアピールできることがないとむずかしいと考えた私は、夜間の大学に入学して生物系の分野の勉強をすることを決意しました。
大学三年を修了し、四年生になったところで、先のバイオテクノロジー分野の管理職の方が認めてくださり、私の所属部署の上司に働きかけてくださいました。上司も私の転部を承諾してくださり、私は晴れて希望分野の仕事に就かせていただくことになったのです。
退職を思いとどまらせてくれ、他社をはねられた際には、私をふたたび迎え入れてくださった温かい上司、希望する分野の管理職との出会い、希望部署への転部など、一連のありがたいめぐり合わせをいただけたのも、神様のおかげにほかなりません。
神通霊能者 笹本宗道著 「宇宙神道―神々の救済」 より引用