◎石井一光(かずこ)さん◎主婦
▶10年近く苦しんできた薬害による全身の痒みからの解放
正神崇敬会にご縁をいただいたのは、かれこれ二十年以上前のことになります。さらに遡ること約二十年。私が三十代に入る前の話ですが、子供が一歳半を過ぎ、お乳が出なくなっても不思議ではないころにさしかかっても、左胸が張ったままの状態がつづきました。
不安を覚えた私は婦人科を受診、細胞検査を受けたところ異常が見つかりました。それはガン細胞とまでは言えないけれど、健康な細胞でもないとのことで、乳腺症、あるいはごく初期の乳ガン。いずれにしてもそれほど急ぐことはないでしょう、というお話を担当の先生からいただきました。
しかし、それまでいたって健康で、病院とは無縁の生活を送ってきた私にとって、乳ガンという言葉はショックでした。ましてや幼い子どもを抱える身でもあり、少しでも危険を減らしたいと考えた私は、早期に手術を受けることを選びました。
手術は無事に成功。以後、経過観察のため、定期的に病院を訪れては検査を受け、点滴を受けたり、処方された薬を飲むという生活を送るようになりました。
私の体に異常が起きたのは、そんな生活が十年ほどつづいたころのことでした。
まるで麻疹のように、頭のてっぺんから手足の先まで湿疹が広がり、激しい痒さのために夜も満足に眠れないような状態に陥ってしまったのです。異常は皮膚にとどまらず、目の玉の裏側からも膿状のものが分泌されるのです。痒さに耐え切れず、体じゅうに掻き壊した跡が広がっているような有様でした。
湿疹が広がった顔で人様の前に出ることは苦痛でしたが、日々の買い物や所用のため、外出しないわけにはいきません。四六時中「痒い」「痒い」と口走る私に、家人もある程度は我慢してくれるのですが、やはりその辛さは本人にしかわかりません。いつまでもむずかる幼子のように痒さを訴えつづける私に、怒り出すこともままありました。
藁にもすがるような思いでいくつかの病院を転々とし、まわりの人たちがいいと言うところには、すべて足を運びました。それでも、状況はいっこうに変わりません。
ある眼科の先生から言われたひと言は、私をハッとさせました。
「これは目が悪いんじゃない、あなたが今まで体にいれてきたものが悪いからだ。ここまでひどくなるほど、あなたはいったい何を摂りつづけてきたんですか」
先生は厳しい口調でこうおっしゃられたのです。私はこのときはじめて乳ガンの手術後、十年もの長きにわたって飲み続けてきた薬が原因なのかもしれないと気づいたのです。ガンの再発を怖れ、病気は医師が治してくれるものと信じ切っていた私は、一心に処方された薬を飲みつづけてきたのです。
以後、薬の服用を控え、食生活を自然食に切り替えたものの、何年も蓄積されてきたものが急に抜けきるはずもありません。痒みは治まるどころか手が腫れ出し、瞬きが止まらないようになりました。そのころお世話になっていた病院でもなす術がなかったのでしょう。最終的に出されたのは、しばらく自宅で休養するように、という指示でした。
失意のまま過ごしていた私に、ある友人が紹介してくれたのが笹本先生でした。
はじめてお会いした笹本先生は、こちらの話を親身になって聞いてくださり、「痒みが治まるようにやってみましょう」とおっしゃってくださいました。
以来、定期的にお訪ねしてはお祓い浄霊をしていただくようになりました。すると、日を追うごとに、あれほど強烈だった痒みがじわじわと取れはじめたのです。しばらくは、少しよくなったと思うと別の所が痒くなるという、行きつ戻りつの状態がつづきました。
そのうちに手先の痒さが取れ、今度は頭皮の痒み、顔、目玉の裏といった感じでしだいに痒さがなくなり、肌の表面を覆っていた湿疹も少しずつ消えていきました。それでも、体調が思わしくないときや、自身の内にあった別の穢れが浄化されて表出するとき、あるいは「もうじき痒みから解放される」という心の緩みがあると、指先の痒みが手の甲まで広がる、足指の痒さがくるぶしのあたりまで上がってくる、といったことはありました。
こうしたことをくり返しながら、薄紙を一枚一枚はがしていくように痒みは取れていきました。そして、ついに全身から湿疹が消えてなくなり、私は痒みから解放されたのです。
あれから二十年あまりの月日がたちましたが、その後、痒みに悩まされることもなく、おかげさまで今日まで健康に過ごさせていただいております。あのとき笹本先生と出会っていなかったら、私は全身の激しい痒さのために心まで蝕まれていたかもしれません。
▶乳ガンを乗り越えた妹が、すっかり明るく元気に
平成13年(2001)の9月には、私の妹の右胸に乳ガンが見つかりました。妹は以前からシコリが気になっていたそうで、検査の結果、ガンは三センチほどの大きさ、リンパ節にも転移していることがわかりました。焦りを感じていたのでしょうか。妹はその日のうちに、検査を受けた病院で入院・手術の予約をとって帰ってきました。
私は早々に笹本先生をお訪ねしてご相談させていただきました。
先生から、いくつかの病院について調べ、検討したほうがよいというアドバイスをいただき、その日は妹の体の守護を祈願して、遠隔のお祓いをお願いしました。
翌日には、妹本人が神様へのお願いと、直のお祓いを受けるため、正神崇敬会におじゃましました。妹が正神崇敬会の鳥居をくぐったのは、この日がはじめてのことでした。
その日、妹は、神様に手術の成功と予後回復のお願いを申し出、笹本先生に集中浄化をお願いしました。結局、妹は三つ目にあたった病院で手術を受けることに決めました。
おかげさまで右乳房と脇の下のリンパ節を取る手術は無事、成功しました。
妹は長年、花屋を営んできました。日に何度も切花にハサミを入れ、花束をつくるといった作業をするのですが、手術で右胸を切ったにもかかわらず、仕事に復帰後は利き腕の右手にまったく影響することなく、諸作業をスムーズにこなすことができました。
手術から六年が過ぎた今も、妹は元気に過ごさせていただいております。
正神崇敬会にご縁ができる以前は、口数も少なく、笑顔を見せることがほとんどなかった妹ですが、神々様のご守護をはじめ、笹本先生の温かいご指導のおかげですっかり明るくなり、店に立ち寄るお客様にも自分から笑顔で話しかけるように変わりました。
生きいきと働き、さまざまな方々と快活に交わるようになった妹の姿を見るにつけ、なんてありがたいことだろうと、感謝の気持ちで一杯になります。
神通霊能者 笹本宗道著 「宇宙神道―神々の救済」 より引用