-本話は心霊相談(霊能相談)のご依頼者に正神崇敬会初代会長の笹本宗園が、霊能者として自身の霊能開発に取り組んで初期の頃の古典的な『霊術』を駆使しての事例紹介です。
いくつかの段階をへて『霊術』は、(あらゆる宗教の源流である)古神道の神々様から厚い守護(加護)を賜り、祈願お祓いの強力な浄化力を発揮する正神崇敬会独自の『神法』へと進化を果たしました。
笹本宗園の神の道の教えと『神法』を継承した神通霊能者の現会長の笹本宗道は、使い方によってはもろ刀の剣にもなりかねないそれを、強力なお祓い(浄霊除霊)の浄化力と安定性を両立して発揮し続けられる『宇宙神道の神法』へと昇化させて、悩み相談・心霊相談・病気平癒・運命の改善強化・心願成就の取次ぎに参られる皆様の改善・解消・解決を目的として神に奉職いたしております-
K市に住む前川知子さん(仮名・27歳)が神通霊能者の私宅へ来訪された時、泣きはらしたのか目のふちが厚ぼったく腫れあがり紅色を呈していました。背をまるめた姿は10歳も老けた感じで淋し気な表情をかくせませんでした。私は、言葉をかわさないうちに反射的に”赤ちゃんのことだな”と感じました。そして次の瞬間”あれ以来どうしたのかな。何か異変があったにちがいない”と思いました。
と申しますのは、知子さんの来訪は初めてではなく、かつて二回ほど来宅されたことがあり、面識のある人であったからです。最初は昭和55年11月頃、実弟とその妻(義妹)の健康上の問題で義妹を案内して来てくれたことがありました。12月に入ってからも義妹の付添役として再度来訪されたことがありました。その時には妊娠しているということで、大きなお腹をかかえるようにしておりました。私の記憶の中には妊婦服を着て義妹の身を案じながら傍でお祓い浄霊による神霊治療の様子をじっと見守っているあの姿が大変印象的でした。その時の話では11月の下旬が出産の予定日であるとのことで大変満足そうな表情をしておられました。そして、”長い間子供が出来ないので大変苦悩しましたが、ようやく子持ちになれるので嬉しい”と話しておりました。同行して来た知子さんのお母さんも本当に良かったと感慨深く話しておられたことを思いだしたのです。そして結婚後丸三年、まだ子宝に恵まれない義弟のことをしきりに案じていた姿が思い出されました。
私は目の前の現実に戻って、小さくなって黙ってうつむいている知子さんに問いかけました。「今日はどんなご用でいらっしゃいましたか」知子さんは私の言葉が終わるや否や大粒の涙を膝の上に落とし、急いで手にしたハンカチで目をぬぐいました。そして私の問いかけにはすぐに応じないで、態度と表情で私に来意を理解して欲しいと訴えているように思えました。
「赤ちゃんのことですね」と私。知子さんは遠慮がちに小さくうなずきました。「赤ちゃんはどうしたの?」知子さんはつまる様な声で、「だめだったんです。妊娠ではなかったんです」 「ええっ、ほんとうに?流産したんじゃないの?」と私。「いいえ、流産はしません。私がよく知っています。妊娠は本当にウソでした」彼女はしゃくりあげるように声をあげて泣きだしたのでした。私はあり得ないような話、あり得るべからざるような話に大きな戸惑いを感じました。どうして、どうしてと自問しながら暫くは判断がつかぬままに黙っていました。
「わかった様な、わからない様なお話ですから、もう少し詳しい様子をお話してください」と私は急きこんでお尋ねしました。
知子さんはK市で、長女として生まれ、22歳の時に現在の夫の所へ嫁ぎました。しかし五年経っても子供ができず大変悩んでおり、自分にはもう子供が授からないと半ばあきらめかけていました。ところが今春以来、正確にあった生理がとまり、お腹が徐々に大きくなり、妊娠としか思えない様な状態が進行してきたということでした。通常ならば医師の診断を受ける筈ですが、喜びのあまり妊娠については何の疑問も抱かず、夫も婚家の両親も実家の親も完全な妊婦として疑うことすらなかったということでした。夫婦で計算した出産予定日は11月下旬ということで、具体的な日取りまで予定して喜びの日を待ち望んできたというのです。自分の同級生達と同じ様に、自分も母親になれるという歓びに胸をふくらませてきたというのです。
お腹は日ましに大きくなる様に思い、事実そのようになってきます。予定日が近づくにつれてお腹は臨月の状態になり歩くことも困難になったというのです。ところが予定日を五日すぎ、十日すぎても生まれない。しかし多少日の遅れはあるものと思ったりして、周囲も「落ち着いた良い子が生まれるさ、お腹もこんなに大きいのだから」と安心していたというのです。しかし、半月、二十日経っても出産しない。お腹の中でどうにかなっているのではないかと不安になりましたが、よもや「「空(から)」であるとは夢想だにもしなかったということです。こうして一ヶ月が過ぎ、年の瀬を迎えることとなりました。不安が益々つのり始めましたが、自分に大丈夫だと言い聞かせるようにして希望を持つよう努力をしました。家族の人達やまわりの人々も待ちあぐねて真剣に心配し始めます。歓びの心は不安と動揺におびやかされる様になり、年の瀬のあわただしさも空事の様に思われ、気持ちと感情は自分のお腹にのみ集中しました。正月を迎えましたがまだ生まれない。ところが、正月11日、膨張したフウセンが空気を抜かれた様に大きかったお腹が突然しぼんでしまったというのです。考えもしなかったこと、自分にとってあってはならないことが自分の身体の上に起ってしまったというのです。流産もなく、肉体的・生理的に何等の変調をみることもなく、お腹だけがペチャンコになってしまったというわけです。それ以後、今日まで生理もストップしたままで五ヶ月も月日が経過したという次第でした。この間知子さんは精神的にも肉体的にも筆舌につくし難い苦悩が続き個人的な苦しみにさいなまれました。絶望感と、家族・親戚・知人に対する気がねから死んでしまおうかと何べんも考えたというのです。婚家にいるのも気づまりとなり、ノイローゼ状態になって実家に戻っていましたが、思い切って私の所で相談したら何らかの答がみつかるのではないかと考え、恥ずかしい気持もしたが意を決して参りました、と言うのです。
「霊的に問題があるかも知れません。調べてみましょう」と私は答えました。今まで彼女がポツポツと語る話の中から私は或る種の予感が浮かんだのです。
「さあ知子さん、正座して、瞑目して、合掌して下さい」私は神前に礼拝して霊査に入りました。坐すこと2~3分。知子さんの身体には次第に霊動があらわれました。まぶたが激しく動き、手が小刻みに震え、身体もゆれ始めます。頃合いをみて私は知子さんに浮霊している憑依霊に審神者として問いかけました。
「知子さんに憑いているご霊様は血縁のお方ですか」 応答はありません。「あなたは知子さんのご先祖様ですか」 知子さんの額には霊の示すためらいの表情が浮かびました。「あなたは知子さんのところと親戚関係にあたる方ですか」 軽いうなずきの動作がみられました。「あなたは女性ですか」 うなずく。「あなたは結婚した経験を持っておられますか」 うなずく。「あなたは子供を産んだことがありますか」 この質問が終わると知子さんの目から涙がこぼれ頬を流れ落ちました。「お子さんを産んだ経験はなかったのですね」と私。霊は知子さんの頭を大きくうなずかせました。そして口唇を大きく震わせて声を出しながら泣きじゃくるのでした。「あなたは亡くなる時に苦しみましたか」 霊は大きくうなずく。「あなたは子供が欲しかったのですか」 うなずく。「知子さんに子供ができなかったのはあなたの憑依と関係がありますか」 大きくうなずく。頭を垂れたままの状態が続きます。「では、もう一つ大切なことを伺います。知子さんの想像妊娠はあなたがなさったことなのですか」私はいささか責める口調で聞き、じっと反応を注視しました。知子さんは大きくうなずいて、うつむいたままの状態。
「よく判りました。正直に答えてくれてありがとう。あなたはまだ口がきけないので誰であるかを告げることができないのですね。知子さんのお母さんにも話して心当たりを探して貰いましょう。その上でまたお伺いします」
こうして第一回目の霊査を終わりました。そのあと知子さんに、お母さんにもこのことをよく話して該当する人霊の推定をしていただくように、またその資料があれば持参してくれるようにと依頼しました。
翌日、早速知子さんとお母さんが一緒に来訪されました。あれこれと考えた末、このご霊さんは知子さんの夫の家の縁者で、知子さんのお母さんとも知り合いの方ではないかと詳しい資料を書いてきました。この日は二回目の霊査で、果たせるかなこのご霊さんはその人であることがハッキリしました。大変悲惨な自殺をした人で、暫くみつからないままになっていました。図らずも知子さんの祖父が発見者となり、自宅に運んで来てねんごろに取り扱ってあげたことから知子さんの家族に頼ったこと、(当時知子さんはまだ生まれていなかったが)そのため知子さんが生まれた時から憑依していたことを告げてくれました。そして自分(霊)が憑依した知子さんを自分の本家筋に当たる夫の家に嫁がせるという奇しき因縁も明らかとなりました。私は知子さんのお母さんにご霊さんを丁重に供養してあげるよう勧告しました。聞けば悲惨な死であったために本来ならばより丁重にすべきところを、いい加減な葬儀で葬ってしまったということもあったとか。この死者は全く孤独のままに幽界でさまよい続けていたのでした。私は、知子さんの体を通してこの霊の幽体に心をこめてお祓い浄霊の神霊治療をいたしました。そして、幽体の痛みと苦しみがやわらいだことを確認したあと般若心経をもって供養し、宗旨にそった題目をあげ心からの慰霊をいたしました。知子さんのお母さんは家に帰ると、すぐさま知子さんの婚家のお母さん、このご霊様の母の嫁ぎ先(里方)のお母さんと相談して、丁重な供養をして霊をとむらったのでした。
その翌日、更にもう一度、知子さんの体を通してこのご霊様の幽体に対するお祓い浄霊の神霊治療を施法しました。知子さんにあらわれた霊の表情には見違えるような明るさが兆してきました。
それから半月ほどして知子さんが来訪されました。私宅の玄関を入るなり知子さんの顔はこぼれる様な表情で、「先生、元通りになりました!治りました」と叫んだのです。「元気になってよかったね。ご霊さんも浮かばれたようだね」と私。彼女が言う「元通りになった」というのは周囲の人間関係、自分の心理状態とともに生理的にも今朝そのしるしがみられたということでした。目の動き、声のはずみ、敏活な動作は半月前の彼女には見られないものでした。
これでこのご霊さんも浮かばれ、知子さんの霊・心・体は霊障から救われたことをハッキリと看取したわけです。思えば彼女にとっては生まれ落ちた時から長い長い霊障の旅路であったわけでした。
彼女は今、私の勧めに従ってある産婦人科の病院に通っております。医師からは機能的にも子供は出来るでしょうと診断され、新しいみごもりの日を夢見ながら希望を持って暮らしております。「次に伺う時は、朗報をもって来ますよ」と。
神通霊能者 笹本宗園著 「霊能開発の旅路」 より引用