「そのどちらも大切です。神道では生きた現実を尊びます。過程(プロセス)の積み重ねである実践からは、自己の魂を成長させるための生きた学びと気づきが得られます。挑戦、失敗、反省、修正、再挑戦とつづくプロセスは向上のための尊い神業です。
心正しく、丁寧によりよい過程を積み重ねられたならばそれは宇宙の普遍の創造神を始め正神界の神霊がお喜びになられる自然との調和や人類の公共の福祉に寄与し得る人間として最高次限の能力を発揮する創造人生につながる生きた神業そのものとなります。ゆえにプロセスは大切です。
(反対に、我よしの邪念で過程を積み重ねますと幽界支配の王である魔神とその配下にいる邪神や邪霊や低級霊が喜ぶ、腐敗、狂乱、破壊、破滅の悪業に落ちてゆきますから大変なことになってしまいます。邪心や慢心にはくれぐれも注意しなければなりません)
善因には善果が、悪因には悪果が現われます。プロセスの大元にある想念(意識)をまず正しく持つことが重要であると賢明な皆様にはお気づきいただけたかと存じます。
結論は、結果が良いということは、正しい想念(意識)の元に、よりよいプロセスを積み重ねた証明が結果ということですから、結果が大変重要だということになります。好結果の先には魂の向上につながる一段レベルアップしたプロセスの神業が控えています。
頑張った努力が現実の結果、成果となって現われるのと現われないのとでは大違いです。たとえば志望校に合格か不合格か、資格が取得できたか落ちて無資格者でいるのか、厳しいプロスポーツの世界で勝つか負けるか、営業成績を上げることができたか未達成であったか、昇進したのかしないのか、昇給したのかしないのか、新しい技術を発明できたか失敗したか、大好きな人との素敵な恋が成就したか振られたか、病気が治って健康で愉快な人生を送るのか悪化して苦しんで早死にしてしまったのか、霊格の向上と想念の高揚を達成できたのか低い想念のままなのか……。
過程が大切で結果はもっと大切であるということが、正神界守護の明るく清らかで正直な素直な前向きな澄んだ魂の方にはよくお分かりいただけるかと存じます」