愛知県のK・T様
「先日は長時間に渡り、ご指導下さいまして、誠にありがとうございました。
先生とのお約束通り、私の誓願書を清書致しました。
最後の方で「この様な人をめざしたく存じます」と書き加えました。
ご一読いただき、書き直しがあればご指示下さい。
「Tさん、虚心坦懐になる方法を私にお尋ねになりましたが、Tさんの身近にはご主人という虚心坦懐の素晴らしいお手本がいらっしゃるじゃありませんか。
ご主人にお聞きになられてみてください」と先生におっしゃっていただいたので、私は帰宅して尋ねてみることにしました。
主人に「お父さんのように虚心坦懐、何のわだかまりもなく、さっぱりして平らな心で居るようにするには?」と聞きましたら、肩を左右にクネクネとふって「知らない。(笑いながら)余分なことは何も考えなくてよい。
体の力を抜いてふわっと自然体にしておれば良い。
自然体になるように心掛けること。
いかなる時もほがらかに、これぞ誠の人と言う。
ご神示に書いてあるよ」と言いました。
あれやこれやと雑念をわざわざ出すなということですね。
又出てきた雑念にとらわれない様に訓練、習慣化することだと思いました。
再度聞くと「淡々としてやるべき事だけに集中する。ああだ、こうだと雑念を持たない。
素直に行動すべき所に心を向けると良いと思うよ」と話してくれました。
私も雑念で心がさわぎ始めたら、「虚心坦懐」と活を入れて、肩を左右にふって「知ーらない」と雑念をふり落とします。
まずは朝拝、夕拝の神詞を心を込めて、丁寧にお唱えすることを第一歩として心新たに頑張ります。
今後共よろしくご指導下さいます様お願い申し上げます。
早々
平成26年11月15日
笹本宗道先生
K・T」
記
『(私の)幽体奥の(業、因縁の)浄めをよろしくお願い申し上げます。
朝拝、夕拝に「真理の祈り(内向きから御霊の完成へ)を各5回ずつお唱え申し上げます。
「心を平(たいら)に」良いことも、悪いことも因縁の果たしなのですから、一喜一憂しないで、自然体でいられるように心をコントロールします。
「さばかない心」でこだわらない、責めないこと。とらわれない。あっさりしている。
「虚心坦懐」心に何のわだかまりもなく、さっぱりして平らな心。またそうした心で物言に臨むさま。
この様な人を目差したく存じます。
「真理の祈り」を心の内に事あるごとにひびかせる様努力致します。
平成16年11月12日
K・T』
※この誓願書はたTさんの同意を得て、神殿待ち合いに掲示させていただきました。