神癒のお祓い千葉県「正神界の神様から二つの奇跡の御守護をいただいたのら猫のシロちゃんとの出会いと別れ」宇宙神道正神崇敬会-我孫子市、柏市(実例179)

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平成14年の5月に知人のOさんが私を案内してくれた大盛りで有名な食堂は、Oさんが話していたとおり、本当に田んぼと畑の中にポツンと建っているお店でした。
幅2メートル半ほどの私道に入ると、奥の駐車場は車が25台くらい止められる広さがありました。
よく見ると植木の陰や、止めてある車の下に、数匹の猫がいました。
一匹のメス猫はよく太って毛並みがよかったのですが、他の子たちは小柄で痩せていました。
そのうち普通の猫より二回りは大きいオス猫が、長い尾をピンと立てて現われました。そのオス猫はお店の人が飼っている太ったメス猫が、去年生んだ子猫の中で一匹だけ育った子供だと聞きました。
他の子猫は病気で死んだり、カラスに食べられてしまったそうでした。
オス猫は毛づやもよく、ボスの座に君臨していました。
猫のグループの中に、助骨と腰骨が突き出した骨にボロボロの毛皮がぺらっとくっついただけのオス猫が混じっていました。
心ない人にコールタールでもかけられたのでしょうか、全身にべっとりと黒い油がしみついていました。
シッポは細くしなびたゴボウのようでした。
栄養失調でやせ衰えた体に、頭の大きさだけが目立っていました。
片目がブルーで、もう一方はイエローのその子は、ペルシャ猫のはずですが、元々の姿を想像するのは難しいことでした。
ボロ雑巾のようなその猫があまりにも哀れで、とても見過ごすことはできなくて、アジの干物を注文して、その子にあげました。
はじめは警戒していたその子は、おそるおそる近寄ってきて、干物にむしゃぶりつきました。
この一食で、風前の灯の命をつないだその猫のことが胸をついて離れず、翌日から私の大盛り食堂通いが始まったのです。
5月の西陽を浴びながら、持参した猫の缶づめをカクン、カクンとその子はぎこちなく食べ、様子が変でした。
よく見ると総べての歯が抜け落ちて、歯茎でエサを食べていたのです。
男気の強い子なのでしょう。自分よりはるかに大きなボス猫に、何度も何度も戦いを挑んではやられ放題、全身傷だらけで、化膿していました。
爪は栄養失調と、戦いの日々でぜんぶ抜け落ちていました。
半月ほどしてその子は、だんだん肉がついてきました。1ヶ月が過ぎると丸々と太りました。
体の傷は回復して、また戦っては傷をつくるの、繰り返しでした。
嬉しそうにたらふく食べて一時は太ってだいぶ元気になった、ゴボウのシッポちゃんでしたが、また痩せ衰えていきました。
ごはんのあと、その子はお店の裏角へヨロヨロと歩いて行きました。ブリキの一斗缶が屋外の水道の水受けに置いてあって、そのブリキ缶の溜まり水をその子は飲みはじめました。
シッポちゃんの後を追ってブリキ缶の中を調べると、濁って臭い水の底には、ヘドロが沈殿していました。
命の炎が尽きかけているその猫のことを、同行した動物好きの主任が、「可哀想な猫ちゃんの汚れた体を洗ってあげたいです。私が責任を持って面倒をみます。会長、お願いします」と言い出しました。
正神崇敬会の二階の二部屋で既に飼っている捨て猫ちゃん13匹に加え、ああ、出来るだけのことをして、最後までこの子の面倒もみることになるなと、覚悟を決めて、「それじゃ、そうしようか」と私は同意しました。
主任に体を洗ってもらったその子の毛は、泥と油にまみれた真黒から、だいぶ白毛に近づいてきました。
でも、シッポにこびりついて固まっているタール状の汚れはほとんど落ちずに、あいかわらずしなびた泥ゴボウのままでした。
体がきれいになった分、全身の傷が浮き出てきました。
シロちゃんと名付けたその猫を、主任は夢中になって近所のA動物病院へ連れていって手当をしてもらいました。
「えっ、何これ!開業以来こんな傷だらけの猫はみたことがない」と院長から言われましたと、戻ってきた主任から報告を受けたのでした。
シロちゃんは、幸い食欲はありました。毎日ネコの缶づめを3缶の外にドライフードを食べ続けました。時々魚も与えました。
シロちゃんは何でも美味しそうにカクン、パクンと飲み込むように食べる大食漢。
1ヶ月、2ヶ月、3ケ月と体に栄養が回るのに時間がかかりました。
ゆっくり、ゆっくり太って、傷が癒えるにしたがって、カールした白毛が増えて、白ちゃんは病弱な影を残しながらも元気になっていきました。
シロちゃんは水をよく飲む子で、ドンブリ一杯の水を一晩で飲み干してしまいました。
「きれいなお水が美味しくて、シロちゃんはこんなにいっぱい飲むんでしょうかねー」と主任はよく、シロちゃんに語りかけていました。
平成14年9月はじめにつれてきたシロちゃんは、5ヶ月たってふさふさの毛が生え揃い、丸々と太って、外見は立派な猫へと変貌を遂げていました。
でも、十本の指の爪は生えてきませんでした。
2月のある日、シロちゃんは口から大量の血を吐きました。
A動物病院では手に負えず、設備の整ったS動物病院で、シロちゃんは診察を受けました。
出血の原因は口の中の、舌の真ん中と下側に大小2つの潰瘍から出血しているのだと分かりました。
「この潰瘍は難治性で、治りません」と診断されたとのことでした。
その時の検査で、シロちゃんは猫エイズと、猫白血病ウイルスに感染していると分かりました。
腎機能が著しく低下していて、人間でいえば透析を受けなければ命が持たないことも判明しました。
シロちゃんが、あれほど大量に水を飲んでいたのは、大量におしっこをして、低下した腎機能を自然のうちに補っていたためでした。
でも、それでは全然足りないのだそうです。
動物の場合は人口透析に変わる方法として、生理食塩水を皮下に、毎日大量に点滴して、体の毒素を薄めて対外に排出させる方法がとられているとのことでした。
その日から、グルーミングによる出血防止のために、首にエリザベスカラーをつけてシロちゃんの、毎日の、病院通いが始まったのでした。
補液を続けても、3ケ月から、もっても半年の命と言われたシロちゃんは、主任の手厚い看護と愛情を受けて、主任に対して全幅の信頼を寄せて甘えていました。
「いけません」厳しくしかられても、しゅんと身をすくめて、シロちゃんは主任の言うことに素直に従いました。
ところが、二回程私がシロちゃんに犬をしつけるように厳しく接したところ、根にもって、私には反抗するようになったのです。正神崇敬会の台所のボスは自分だといわんばかりに、シロちゃんは主任に大事にされながら私にプレッシャーをかけ、機嫌が悪いときにはつっかけてきて、歯グキで思いっきり噛みつきました
それがけっこう痛くて、まあ、しょうがないと私が引いていると、シロちゃんは強気になって瞳孔を開いてにらみつけ更に私にプレッシャーをかけてきて、堂々としていました。
どちらが主なのか、主従逆転の危機、黄色の点滅信号が点灯する日々が始まりました。正確に申し上げるならば、私の方がシロちゃんに譲歩して気づかいするはめになってしまった訳です。
「しょうがないねー、シロちゃんは。でも猫のことだからね。本当にやったら私の方が強いんだけど、天下さんでいさせてあげるよ」と語りかけてはみたものの、完全に立場は逆転してしまいました。
「シロちゃん、シロちゃんは男の子だけど、女王様のような高貴な雰囲気でエリザベスカラーがお似合いだね」と話しかけても、ちっとも喜びませんでした。
シロちゃんは、人間の言葉がよく分かる賢い子でした。
主任は、「会長、シロちゃんのイライラの元になっているエリザベスカラーが取れるよう、潰瘍がなおりますように神様にお祓いをお願いします」と、願い出てくれました。
一つ目の奇跡が起こりました。
病気の神癒祈願とお祓い、神気充電を神様にお願いしたシロちゃんの潰瘍が少しづつ縮小し、4ヶ月間で完治してしまいました。
神様の御守護の元、動物医療の力も借りながら、シロちゃん自身が持てる生命力を最大限に引き出し、免疫力を竜神様に強化いただいて、シロちゃんの治らないはずの潰瘍が完治したのです。
実はシロちゃんは、もう一つの奇跡を神様からいただいています。
余命、長くて半年と診断されていたシロちゃんでしたが、神様からお祓いと神気充電をいただきながら、主任が中心になって毎日欠かさず、病院へ、補液に通ってくれました。
半年が過ぎ、8ヶ月が過ぎる頃だったでしょうか、「腎不全の猫がこれほど長生きしたことはないので、データを
取らせて下さい」と、担当獣医のA先生から申し出を受けました。
かなり痛いはずの点滴を、シロちゃんはじっとがまんして頑張るいい子で、いつしかシロちゃんは病院の人気者になっていました。
点滴の苦痛を辛抱すると、蒼白だったシロちゃんの手足の肉球も桜色に血行がよくなります。
「シロちゃん、よく頑張って偉いねー。よかったね」と帰宅したシロちゃんを褒め労う日々が続いていきました。
シロちゃんは、限界と診断されていた半年ちょうどの3倍の18ヶ月延命し、平成16年7月16日まで全うして、安らかに旅立ちました。
神様の大いなる御守護の元、シロちゃんが、動物医学会で発表された最長寿命の記録をうちたてた根本の力は、愛です。
シロちゃんを愛する心がシロちゃんの生きる励みとなりました。シロちゃんを愛する心を神様がお汲み取り下さって、安らかで喜びに包まれた生命力強化の奇跡を神様がお与え下さったのでした。
シロちゃんは、亡くなる2週間前から、通院をいやがるようになりました。病院でも駄々をこねるようになりました。
「今までボクは痛いのをがまんしてきたけど、もういいんだ、もうおしまいにして」と、帰宅すると目としぐさでシロちゃんは訴えました。
それは腎臓が全く働いておらず、これ以上の補液はムリですとの、病院の診断と一致していました。
「シロちゃん、分かったよ。あとは、神様にお任せしようね」と私はシロちゃんに語りかけ、シロちゃんの病院通いは終りました。
死期を悟ったシロちゃんは、亡くなる2週間前から私に対する態度を変えました。
「ボクもこれまで強がりをしてきたけれど、ボクが弱ってからも、優しく大事にしてくれて、お父さん、ありがとう」と、彼は態度で想いを伝えてきました。
シロちゃんは他界する何日か前からは、一番親身に世話をしてくれた主任以上に、私に親愛の情をみせるようになってくれました。
知人のOさんがきっかけで、シロちゃんと出会い、2年2ヶ月のふれ合いの中で、愛の修練をいただいたことに、感謝いたしております。
私がやがてこの世の行を終えて旅立った暁には、シロちゃんとの再会も楽しみにしています。
以上、シロちゃんとの出会いと別れを回想し、お話させていただきました。
(正神新報第79号より)

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