ブログをご覧の皆様へ
昨日うつの平癒を願って、神通霊能者が取次ぐ霊査とお祓い浄霊、除霊、神気充電、因縁浄化による神霊療法(心霊療法)をお受けになる心霊相談で正神崇敬会に参られた千葉県松戸市H・Nさんの実話を感謝の声の124に記載いたしました。
おたより紹介
「『正神に心を合わせて皆が幸せでありますように』と念じる生活が大切と思います」
― 人生の最終章を旅立つその日まで、しっかり生き抜く志と覚悟をお持ちの立派な魂のお方からのおたよりです ―
静岡県のT・Y様
「先生、毎日お暑うございます。八月に入り、今日は立秋というのに猛暑です。
色々なことが次々に続き、心身を正常に保つむづかしさを思う昨今です。
こんな時こそ、「正神に心を合せて皆が幸せでありますように」と念じる生活が大切と思います。
昨年は、六月の夏日に熱中症になり点滴治療を受けましたので、今年は「日中は外出しない」を守りました。
治療中の腰は治りました。足の膝はまだですが、九十度曲げられるようになりました。
自宅からJRの駅まで約五百米、往復すると1Kメートル歩くと、まだあとで少しむくみます。
まだまだです。治療して下さる先生は、おひげの先生で、仙人みたいな方ですが、患部の治療は適切で信頼のおける方です。
「もう来なくていいヨ」と言っていただけるまで毎週、根気よく通院するつもりでおります。
まるで医者通いが趣味かと思われる程です。
毎週一度膝の診察、十日に一度歯の治療、一ヶ月に一度心臓狭心症の診察、二ヶ月に一度緑内障の診察、やはり二ヶ月に一度脳外科の診察を受けています。
まさに満身創痍です。医師はすべて加齢によるものとおっしゃいます。その通りだと思います。もう、何が起きても不思議でない齢になったということですね。
それでも、普通の生活をしたいので、毎朝、神棚と仏壇に拝礼し、一日の無事を祈願いたします。
竜神祭も遠隔祓いをお願いすることになりますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。
八月の俳句の兼題は「秋の七草を詠む」でした。
指折りて秋の七草口遊む つる代
春の七草は「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけの座、すずな、すずしろ」とすぐ口に出てきますが、秋の七草はうまく口をついて出てきません。口調よく言えるように並べてみましたがむづかしいです。
「萩、尾花、桔梗、撫子、女郎花、葛、藤袴、秋の七草」これで五・七・五・七七で納まりました。
秋の七草も昔は野原や堤防に自然に咲いていましたが、今はもう絶滅危惧種となりつつあります。
特に撫子は殆ど見られなくなりました。淋しいことです。
六十の手習いで続けてまいりましたおけいこ事も、二十年続けた仮名書道が今年四月で終りました。
残されたのは俳句と手描友禅の二つになります。
今年に入ってから、終活セミナーを受講しております。
最近は身辺整理をしなければと思っています。
数え八十才という年令は、毎日の生活に重くのしかかるようになりました。老いは四苦の一つという意味をかみしめる昨今です。
竜神祭、ご盛会でありますように。 かしこ」
八月七日
おたより紹介
『大祓祭では、格別の御浄化を賜り、誠にありがとうございました。正しく生きるための尊い勉強をさせていただきました』
京都府の二宮健二様 (「ブログに載せていただけるのは有難いことです」と、実名記載の同意を二宮健二様本人よりいただいております)
「拝啓
梅雨の中、季節外れの台風の到来、局地的な豪雨が全国各地で発生し、私たちの生活スタイルをできるところから見直していかなければならないとも考えさせられます。
笹本会長、水島主任、職員の皆様におかれましては、お変わりなく、お元気にお過ごしのことと存じます。
大祓祭では、格別の御浄化を賜り、誠にありがとうございました。また、会員様のご経験なされた事、正神界の神々様に解決頂けた生きたご修行の神事実例をご紹介頂き、正しく生きるための尊い勉強をさせて頂きました。
最近の仕事においては、製品の製造計画やお客様との製品の不具合対応の場面で、対応の方法を一歩誤ると取り返しがつかない大事へと繋がることが考えられることを任されていますので、大事な局面では笹本会長から教わりました「大局を見据えて、専門家からの情報を得て、時機を逃さず、勇気を持って決断」したいと決意しました。
実績を着実に重ねていくよう日々取り組んで参ります。
さて、7月15日の祖霊祭は、仕事の都合により参式できません。
本年も、「木虎家先祖」の一括供養をお願いしたく、何卒宜しくお願い致します。義母(妻の母)は、元気に過ごさせて頂いており、感謝しております。いつまでも元気でいて欲しいと思っております。
これから夏本番の厳しい暑さが続くと思います。
くれぐれもお体を大切に、ご自愛下さい。」
敬具
平成26年7月13日
二宮健二
笹本宗道様
おたより紹介
『かなりきつい霊障を起こしていた私の憑依霊を沢山とって頂き、感謝しております』
神奈川県の内山美里様(仮名)
「その節(5月21日、22日、25日、26日)はたいへんお世話になりました。
(かなりきつい霊障を起こしていた私の憑依霊を)先生のもとで沢山とって頂き、感謝しております。
(車を運転して正神崇敬会へ)通い続けるには都内を抜けなければならず、体力強化をしてからでないと無理と分かりました。
(お教え頂いた神詞のとおり)何事も霊のせいにしない!!と呟きながら農家のお手伝いと山歩きをしています。
アルバイトもしたいと思っています。
主任さんに新茶を差し上げるお約束をしましたので郵送させて頂きました。
御礼ならびにご報告迄
かしこ」
※内山美里さんの実例は、近日中に実例紹介の181に記載させていただきます。
「腸内環境を整えて健康で元気に長生きしましょう!」の記事を、審神者・神通霊能者の伝言板に記載いたしましたので関心をお寄せの方はご覧ください。
腸内環境を整えるための知識がつまった良書を閲覧の皆様に紹介させていただきます。
『腸内細菌革命』若返る!やせる!病気にならない!
辨野義己(べんのよしみ) 理科学研究所特別招聘研究員 著
発行所 株式会社さくら舎
2014年(平成26年)8月19日読売新聞の朝刊の11面に道徳教育の本質に迫る貴重な記事が出ていましたので、転載して閲覧の皆様に紹介させていただきます。
論点
道徳教科化の流れ
宗教取り入れ 命の教育
執筆者 貝塚 茂樹(かいづか しげき)氏
武蔵野大学教授((道徳教育論)。「道徳教育の充実に関する懇談会」委員。著書に「道徳教育の取扱説明書」。51歳。
「長崎県佐世保市で女子高校生が同級生殺害容疑で逮捕された事件に直面して、学校での「命の教育」のありようが、改めて問われている。
そうした中で、今月7日付の本紙に掲載された山折哲雄氏の「死とは何かを教えない教育ほど弱いものはない」「宗教アレルギーから自由になって教育を見直す」という指摘を我々教育関係者は真摯に反省し、受け止める必要がある。
戦前の「国家神道」に対する警戒感に呼応して、教育界では今も宗教へのアレルギー反応が根強い。教育基本法には宗教教育の項目があるにもかかわらず、授業で扱われないのは、その表れだ。この根底には、「宗教的情操」をめぐる概念の混乱がある。
1966年の中央教育審議会答申(別記)は「すべての宗教的情操は、生命の根源に対する畏敬の念に由来する。われわれはみずから自己の生命をうんだのではない。(略)生命の根源すなわち聖なるものに対する畏敬の念が真の宗教的情操」であると定義した。
人間は水平的な関係のみで生きるのではなく、上から貫く垂直的な関係、すなわち「聖なるもの」への畏敬の念が必要であるというのがその趣旨であった。しかし、この点は、道徳の学習指導要領には部分的にしか反映されなかった。
学習指導要領では、「生命の根源すなわち聖なるものに対する畏敬の念」から「生命の根源」と「聖なるもの」が削られ、「人間の力を超えたもの」とのみ記された。学習指導要領に「宗教」という言葉はなく、真正面から取り上げた道徳の教材も見たことがない。答申が前提とした、神・仏といった宗教的存在も消え、せいぜい「自然」や「美」に焦点が合わされた授業が行われているのみである。
一方で子どもたちは、何度死んでも生き返ることができるゲームやアニメになじんでいることもあって、「自分の命は自分のもの」「死んでも生き返る」と思いこむ傾向が目につく。そんな中で「命はかけがえのないもの」と唱えるだけの「命の教育」は、あまりに無力だ。そこからは「生かされている」感覚や「自分の命は自分だけのものでない」という理解は導き出せないからだ。
山折氏は、この根本的な問題をないがしろにして道徳を教科化しても効果はない、という。その通りであろう。
だが、道徳を教科化しなければ問題が解決しないこともまた事実である。教科となれば、教育基本法の条文と学習指導要領の内容に隔たりがあることは許されず、教員養成課程に宗教に関する科目を組み込むことが必要となるからだ。
折しも7日、中教審の専門部会で道徳教科化の方向性が示されたが、宗教が社会で果たしている役割や寛容の態度をどう扱うか、「配慮事項として示すべきという意見があった」と書かれるにとどまった。
道徳の教科化を絶好の契機としてアレルギーを払拭し、宗教の役割と意味を積極的に考え、今こそ「命の教育」に対する議論を深めたい。」