私のところへ神霊治療を受けに訪れる方々の大部分は現代医学の治療法から見はなされてしまった病人であるか、または現代医学の治療に限界を感じてしまった人々です。私は病気の際には先づ医師の診断治療を受けることが必要であると思います。
そして医学的治療を施しても何年も治らぬとき、または一時治っても再発を繰り返すような場合は神霊治療の事前調査である霊査を受け、霊的原因による病気現象であることが判明した場合には改めて神霊治療を受けることが賢明な措置であると思います。
神霊治療は医学的治療とは次元を異にした治療法です。医学は生理的・肉体的な段階である三次元レベルにおける治療をおこないますが、神霊治療は心霊的・精神的な四次元レベルでの治療をおこないます。それは医学の対象とする世界よりもさらに奥の世界、もう一段階前の世界を対象としておこなう治療法です。神霊治療の手法は殊更に何らの道具も必要とせず、患者には手を触れることなくもっぱら祈祷や浄霊や念唱や禁厭などの神霊的手法によっておこないます。
神霊治療は一言で要約すれば救霊治療であります。憑依している霊魂を救うことによって憑依されている人々の身体に現われている病気現象を消してゆく手法です。それは霊魂の救済という面では神職、僧侶、聖職の専門分野である様に思え、病を癒すという面では医師の様な側面も持っています。
しかし神霊治療はそういう有資格者が当るのもよく、またそうでなくともよいのです。神霊治療のライセンスはこの世の権威によるものではなく、神通の人々に神界から付与される能力であり、真剣に求めれば誰にでも公平に与えられる能力であります。
私の神霊治療は救済法を極限まで徹底させて、霊魂の浄化向上をはかってゆきます。
そして最終的には未浄化な霊魂の成仏―昇天まで誘導し引導する独自の方法です。単に症状が癒えたとか痛みや痒みが消失したということで止まるものではありません。
神霊治療は霊魂に対する処置でありますから、生理的、肉体的段階の症状の消失は救霊の過程で、またはその結果としてもたらされるものです。
神霊治療は本来より根源的なものであり、神界からの力により神界とその協働によって、霊界の浄化と霊魂の救済という宇宙的使命を荷っているものなのです。
冒頭において本文に述べるべき所見や主張を述べたきらいがありますが、焦点を鮮明にするためにあえて申し述べた次第です。
このような心意と立場で救霊治療の実践をおこなうときは、奇蹟は湧き出づる泉の如く果てしなく溢れでて参ります。
本書はこの様な私の考え方と実践の記録をとりあえずまとめてみたものです。
救霊の合間を縫って綴ったものゆえ敍述に意をつくさぬ点もないではありませんが、賢明な読者の皆さんには私の意図するポイントをご理解頂けると信じます。
本書の構成は第一章から第四章までは神霊治療を理解する前提となる因縁、霊障、解消法、神霊などについての私の基本的な考え方を述べ、第五章においては私の固有の神霊治療法について述べます。私の神霊治療を受ける方々のガイドとして読んで下さい。第六章は私の神霊治療の実記録であります。
最近取り扱ったケースの中から十二例を選んでみました。治療の経過を追って記録風に述べましたので面白味が若干減ずるかも知れませんが、ノンフィクション実録ですから一読して頂ければ霊の世界と現実の世界とのかかわりがよく判ると思います。
「あなたの家には、こういう因縁がつきまとっています」と言われて、「なるほど」とうなずく人と「そんなことがあるものか」と否定する人々と、
「あるかも知れない」と中間的に考える人と、三通りの人々の反応があると思います。
霊的因縁は一般の人々には眼に見えず、耳にも聞えず、臭覚でもとらえられず、手に触れて認識することもできないものであり、生きている人間の五感ではわからないものでありますから、因縁があるといわれても、その受けとめ方には本人の考え方によって色々と差異があるものです。
因縁を認識したり自覚したりする能力は個人差が随分あるものです。私が経験的に感じたところでは、女性の方が男性よりも強い感受力を持っていると思います。
体質的にみますと、心情質の人が最も敏感で、心性質の人がこれに次いでおり、筋骨質のタイプの人々は一般には無関心か否定派が多い様に思います。
但し例外は大いにありますから、相対的な見方として参考までに述べたものです。
因縁の認識について学歴、教養と関係があるかという点では、あまりない様に思われます。殊更に学問をしない人であっても、感覚的に因縁自覚出来る方もありますし、深い哲学的追究や宗教的研究を重ねて因縁自覚に到達される方もあるわけです。
さらに、人生経験と因縁自覚という面から観ますと、これはまことに重要な問題であると思います。多くの場合、不可視の因縁を理解できる土台は、正にその人の人生経験からくるものが非常に大きいものがあるからです。
因縁自覚と年令との問題は、このような人生経験の多少という関係から、これもまた密接なものがあります。法然上人のような優れた宗教家の中には、若くして因縁自覚を得た人々も少なくありませんが、一般的には中年または老年に達して、様々な苦しみや悩みを一通り経験した後に、この世、この人生に、目に見えないけれども何等かの別の力が働いているのではないかという疑問が湧いて来た時、因縁の認識が顕在化してくる様に思われます。また、多くの場合その時期に因縁の顕在化が始まる時機にも当るのです。
人間の老、病、死、苦の姿を観察して人間の実相を追求した釈尊の問題意識が、人類的次限の因縁認識をなさしめましたが、私ども個々人の因縁認識もまた人生経験による老、病、死、苦の生体験から出発するといってもよいでしょう。
罪穢の因縁の全くない家や、悪い因縁を受け継がない個人がこの世にあるかという質問があれば、そのような人間は地上に一人もいないと言ってもよいでしょう。
私のところでは、後述するように、個人やその家が持っている悪因縁の調査をして、その原因となっている事実関係を明らかにし、業因縁の正しい認識が得られるよう、心霊を技術的に解明しております。
そして、個人や家々に起こる病気、災難、不和、不幸、不運の原因と、業因縁のかかわりを究明して、悩み苦しめる方々への指導と助言をおこなっています。
さらに、それらの業因縁によって惹き起こされる様々な霊障の解消のための神霊治療、成仏法、浄霊法をおこなって、現界の人々の健康回復と同時に霊界に生きる霊魂達の救済をおこなっております。
人の心と行為がつくる「業」と、その結果として現われてくる「因縁」の中で、最大の罪穢となるものは「神仏への不敬」であります。
神社仏閣には目に見えないけれども多くの神仏霊、眷族霊が居られます。また、家屋敷に祭ってある屋敷神の祠や神棚には、それぞれ神霊や眷族が鎮まっておられます。これらの神仏や眷族に不敬や失礼がありますと、それは大変な因縁をつくることになります。
神仏は本来、正しい人間に対して物心両面から守護なされ、人の心のレベルに応じて加護を賜わって居られるお方であり、積極的に人に対して罰を与えなさることはありません。しかしながら、人間が神仏に対しておこなった不敬は、それ自体が人間の罪穢の行為となって、大きな因縁づくりのもとになるのです。
たとえば、祖先の代から祭られていた屋敷神に対する祭祀を怠ったり、廃棄してしまうなどの行為をなしたりすると、それが因縁となって、本人や子孫の上に重大な霊障を受けることが多いものです。
私の所で体験した事例の中にもこのような例は少なくありません。
その一例を述べますと、K市にО氏(30才)という方がありました。
大学も好成績で終え一流会社に就職し、やがて良縁を得て結婚したが、一年後にノイローゼになって、遂には職場を失うとともに離婚にまでいたり、全く孤独な破局を迎えてしまったケースがありました。
母とともに相談に見え、人生に対する絶望感をしきりに訴えていました。その真因を探るべく霊査しましたところ、本人に祖父の霊がでて参りまして申すには、家の屋敷内に祭ってある三峯神社の神屋が、三年前の台風で吹きとばされて、畑の中に放置されたままになっている。自分(祖父霊)は早く修復して欲しいと願っているのに家人は一向に治してくれないことから、神様に申し訳ないので祖父霊が戒めのために孫にあたるO氏に忠告の霊障をだしたことを告げたのでした。
私は三峯神と祖父霊にわびることと、さっそく神屋を修復することを助言しました。О氏母子は直ぐに約束を実行しました。
その後十日を経ずしてО氏のノイローゼ状態は回復し、一ヵ月後には新しい就職口までみつかったのでした。
母子は神理のあざやかさに驚き、神仏への崇敬の意を深くしたのでありました。
因縁をつくる「業」の最も多いものは、祖先の罪穢であります。罪穢のことを神道では「包み穢れ」「つつみ木枯れ」ともいいますが、心と行為によって霊魂をつつみ曇らせ汚したことであります。
罪穢となる事実には、先祖が社会的に犯した罪穢、他人に対して与えた苦痛に対する怨念、自分の心得ちがいによって惹起こした不貞、過大な欲望によって無理に貯えた財産、自分の健康管理の不注意による疾病、災害死、自殺、他殺、想念のあやまりによる不浄な感情(天理教における八つのほこり、欲しい、惜しい、憎い、可愛いい、怨み、腹立ち、欲、高慢などの想い等々)、様々な事実や想念があげられます。これらのことごとくが因縁のもとになる「業」になるのです。
この先祖霊による因縁は、私の調査によればほとんどの家々(全部と言ってもよい位)に伏在しているもので、突如として表現されることがあります。また、徐々に現われてくることもあります。
武家の血統、霊統を継ぐ家系には、戦いで死んだり、争乱で切られたりした者が多いこともあって、因縁としては大変深く強いものであります。戦死したり、傷ついて死んだ霊の中には、三百年~五百年を経過しても死んだままの状態で苦しみ喘いでいる者が少なくありません。通常の先祖の供養程度では浮かばれず、血統が屢々耐える絶家因縁をもっています。
災害や事故で死んだ先祖霊は地縛霊となってその土地に拘束され、長い年月苦しみ続けており、または恨みの念を強く放射しているものです。地縛はうけていても子孫には強く憑依できますので、このような先祖が居る家では必ずといってよい位霊障が発生してくるものです。
色情関係の罪穢のある先祖をもっている家系は色情因縁が生じ、それが代々引継がれてきます。子孫には色恋沙汰によって不幸に陥る者や、離婚、三角関係などに苦しむ者がでてきます。また、一生独身で通すような人もこのような因縁を受けていることが多くあります。
祖先が無理をして財産を造ったりした家系では、他人からの怨念、羨望の念などが入り混じって子孫へ影響するために、財産蕩尽の因縁が生じてきます。そのために子や孫などに財産を傾けてしまう者が生まれることがあります。
また、重い疾病で死んだ祖先が居りますと、その先祖霊が因縁霊となって子孫に同じような病気の霊障をもたらします。これは疾病因縁と呼ぶべきものです。
これらは因縁の類型の一部でありますが、このような因縁現象は悉く先祖の犯した罪穢の結果として子孫の上に現われてくるもので、医学や法律や宗教やコンサルタントの力をもってしても、容易に喰い止めることができ難いものです。
自分の想念や行為によって生みだす因縁もあります。自分が生みだす業因縁は自分自身に身に覚えのあることでもあり、少し考えればよく判るか、よく考えれば思い当る節があることですから、他の因縁と比べて認識しやすいものです。
生きてゆく上で最も大切な身心の健康をとりあげてみても、日常の自己管理をよくおこなって不規則な生活や不節制な行為を慎しみ、自然に即した生活をおくってゆけば健康で明るい生活を続けることが出来るわけです。しかし、多くの人々の中には、仕事や自分の別の楽しみのために、生存の基本である健康を省みない人々も少なくありません。
しばらくの間は少々無理を重ねても耐えられますが、無理が累積されてゆきますと必ず破綻が生じます。若いうちは若干の無理はきいても、年令が進むに従い次第に無理は通らなくなるものです。このような反自然な生活が祖先からの因縁と重なって現われる時は、意外に大きな災いになって疾病を起こします。
仕事についてみても、経済的な取引の上でいささかの無理がありますと、最初のうちは小さなひずみであったものが次第に大きなゆがみとなってゆくものです。これを正しく認識して反省して、調和の方向へ軌道修正して参りませんとやがて大きな破綻を招くことになります。
つまり自分の想念と行動の上で少しづつ誤りをし、それを積み重ねてゆきますと、それが次第に肥大して取返しつかない事態に追いこまれてゆくものです。ギリギリの所へ追いつめられると心に焦りが生じ、事態の認識や処理に対する正しい判断が失われ、断末魔の状態になります。これは自分の想念の曇りと行動の間違いから、自らが招いた因縁となってハネ返って来る結果に他なりません。
また、家庭の間違をとりあげてみても、最近は離婚が大変多くなっております。年間での結婚が六件に対して、離婚が一件の比で起こっているという状態で、昔からみると全く驚くべき離婚の増加ぶりです。
離婚には先祖からの因縁が伏在することもありますが、最近ではそれ以上に自分の想念のあやまちや、行為の間違いに起因することも少なくないと思います。生硬な道徳論を振りかざす心算はありませんが、最近の文明の風潮が輪をかけて想念をあやまらせ、悪しき方向に導いていることも看過ごしできません。
しかし、最後的には自己抑制の心が大切で、先祖の因縁や社会環境の影響が大きく働らきかけても、これを克服する努力をし、負けてはなりません。外からの力に負けて自分の魂を曇らせると、それはやがて自分に対し、先祖に対し、子孫に対して因縁の悪しき結果が必ず現れてくるものです。
自分の播いた因縁の種を自分で刈り取るのは当然ですが、身内の者、子孫にまで弊害を及ぼすことは許されないことです。
業因縁の中には身内の者によって生みだされて、それが一族に及ぶ場合もあります。一番顕著な例は、身内に犯罪者がでると、一家一族の者が世間から白い眼で見られ、肩身の狭い思いをさせられる様な場合です。
犯罪を犯すという所までゆかない段階でも、身内の者が不名誉な行為、不当な行為をするような事があれば、それに対する批判や迷惑は当事者本人だけに止まらず、家族や身内の人に大なり小なりかかってくるものです。
これは、身内の者の想念や行為によって生みだされた因縁が、一家一族という霊的集団に対してふりかかってくるもので、霊的に一つの集団をなしている関係で連帯的にミソギを受けることになるのです。
身内という概念は本来血族、親族という、血統上、霊統上の集団でありますから、霊的にみると一体化しております。従って、その中の一員が犯した罪は大きく全体に及ぶ作用をもっています。
家族の一人が他人に意地悪い行為をしてその相手が非常に苦しみ、怒りと恨みの念を発しますと、その強い悪想念は当事者だけでなく家族全員にかかることがあります。それは死霊からのものであれ、生きている人からの想念であれ異るところがありません。この様な因縁は子孫にも引継がれるものです。
また、最近非常に増えている水子霊のことに例をとってみても、水子霊はほとんど例外なしに母親に憑依しておりますが、同様に兄弟姉妹にも憑依しているケースが多いものです。つまり、父母によってつくられた因縁が子供達にも及んでゆくということになるのです。水子霊の因縁もそのままにしておくと子孫に引継がれ、憑依の幅を広げてゆくものです。
身内の概念は巨視的に見ると更に拡がって来ます。それは氏を同じくする一族の範囲に及んでいるものです。霊査をしてみると、先祖の因縁は直系のものだけではなく、多くの傍系の一族の者に因縁が引き継がれています。その幅広さは予想外であり、現存する人々からみれば理解に苦しむこともある位です。一例をあげれば、十五代前の先祖の兄弟の妻の因縁、という、途方もないような因縁が子孫に出てくることもあるのです。
こういうことを考えあわせると、身内の人というものは、時間空間をこえて、霊的には自分と深いかかわりをもっていることが判ります。目にみえずとも、身内や一族は強い霊線でつながっているものなのです。
土地についている因縁というものがあります。一般の人には霊的因縁は目に見ることはできませんので判らないでいる人がほとんどですが、何等かの因縁をもった土地に住んでいると、その因縁を受けて悪い結果を被ることがあります。
土地の因縁には二つにわけて、運命学上の地相によるものと、霊的な因縁によるものがあります。地相上のことは目に見えることですから運命学によって検討し善処することが必要です。こちらの方も大変重要なことでありますから、土地を購入する際、移転をする折には専門家の意見を聞くことが必要です。
土地因縁の最たるものは霊的因縁に関するものです。これは長い過去からの累積した因縁ですから、特殊な能力者、霊能者の力をかりなければ調べることが出来ません。
土地の霊的因縁の中で最も注意すべき原因は、神社あと、仏閣あと、墓地、塚あと、戦場あと、河川の埋立地、動物の埋葬あと、などの土地です。これらの土地は尊貴を穢すことになったり、汚染した土地であったりして、そこに住む霊界の住人達からの念の放射が強いために、その念波を受けた人々が相応の被害をうけるのです。
一例を紹介しますと、私の所へニ十年余り自律神経で苦しんできたというT市のご婦人が訪ねて参りました。十年も医師にかかり、薬害がでたためにその後は漢方薬に切り換えて十年も養生しましたが、容態は一向に良くならないというのです。
病状は大変悪く、一日中寝ている始末で家事も思う様にできない状態だというのです。霊査をおこなってみますと、土地にまつわる因縁霊(戦死した武士)がでてきて、未だ成仏していないためにこの人に頼っているというのです。
あとでこの方に聞いてみますと、その土地の地名は現在は町名変更で新名がついていますが、元の町名は「あか塚」ということで、亡父から生前に伺った処では、この土地は隣接する寺の所有地であったものを払下げて頂いて、ここに一つの町会を作ったというのでした。
ところが、現在十数軒この土地に建っている家々ではほとんど子供がなく(この人の家だけ子供がいる由)、しかも隣同士で境界問題で一軒残らず争っているということでした。
何と、この土地は戦死した武士達を集団的に埋葬した塚跡であったのです。この未浄化の霊達の想念が、この土地に住んでいる人々や家々に放射して、争いの念を反映させ、斬り死にした苦痛や怨念を訴え続けていたのでありました。それがこの土地の恐るべき因縁となっていたのです。
このご婦人は3回の神霊治療で今までの病状がすっかり消失しました。この方に憑いた武士霊の念が浄化され、成仏したからであります。土地にまつわる因縁の恐ろしさをまざまざと感じさせるケースでありました。汚染された土地に住むことは大変に危険なことです。
家宅にまつわる因縁もあります。この因縁は家相からくるものと、霊的な面からくるものとがあるのは、土地因縁と同様です。
家相からくる因縁については運命学上の家相鑑定をうけることが大切であります。新築であれば事前に家相家とよく相談してから設計に入るとか、設計中途の段階で修正するなどし、万全を期することが肝要です。
建売住宅を購入する際にも、家の出来工合だけを見ないで、家相、方位の面からもよく観察し検討することを忘れてはなりません。一生住むべき家の購入には多角的な吟味が必要と思われます。
さて、家宅にまつわる因縁となりますと、実際問題としては中古住宅を購入する時とか、中古マンションの購入、借家、借間、宿舎、寮などに関して問題が生じやすいのです。
人が住みますと、その家やその部屋には住人の持つ想念が付着します。現実に住んでいた人の想念だけでなく、その人にまつわりついている霊体の想念も付着することがあるのです。殊に、その家で死んだ人の想念はかなり強いもので、何時までも消えないで残っていることがあります。これらの想念はこの家や部屋についての因縁を形成することになるのです。
一例をあげますと、私の所へ相談に見えて処理した案件の中に次のような話がありました。T市の某団地(中古)の一戸に入居した四人家族の一家が、入居して間もなく次々に金しばりにあうというのでした。夜は勿論のこと昼間うたた寝していてもたちまちやられてしまうというのです。
子供達の学校と勤めの関係でせっかく便利の良い所へ移って来たこともあって、再び転居することもできず難渋していたところ、近所の親しくなった奥さんから、「実は、あなたの住んでいる家では前に自殺したお婆さんがあったんです。近所ではみんな知っているんですが、誰も教えないでしょうけど、知らないということも良し悪しですから教えてあげるのです」と大変な話を打開けられたのでした。
この家族は気丈な人達ですが、この儘ではもっと厄介なことが起こるかも知れないと案じて、私の所へ救いを求めて来たというのであります。
私は直接この家を訪ねて内部を調査した上で、祝詞をあげたり、読経したり、家族の人々の浄めをしたり、更に家宅浄めの霊符を貼布したりして、この死せる老婆の念を供養して鎮めました。
その後、金しばり現象は一回も起こらず、子供達や仕事にまつわりついていた不運な現象も解決して、家族の運も大きく好転してきたのでありました。
古い家になればなるほど、また、その住人が替われば替わるほどに、そこに住んだ人の想念、執念が残るものです。家宅にまつわる因縁も怖いものがあり、浄化が必要であります。
※[正しい霊能開発(霊能者の育成)のためには霊格を高めるように大いに努力せねばなりません。霊格を高めるには想念の向上に努め、魂に磨きをかけることです。魂に磨きをかけられますと正神界守護の霊感の感度が上がります。正神界守護の自己のお祓いの力の強化(自己浄霊力の強化)を正神界の神々からお計らいいただけるようになるのです]