病気には肉体的・生理的な原因によって起こるものもあり、また、霊的原因によって惹き起こされる病気もあります。また、災難、不幸、不和、経済的困難など、人間の現実生活の上に起こる不運な現象についても、霊的な原因によって惹き起こされるものが少なくありません。
このような霊的原因とはどのようなものなのかというと、それは憑依現象によるということです。一時的、または長期的に人間に対して、人霊、自然霊、動物霊などが取り憑くことがあります。このような現象を憑依現象または憑霊現象といい、これらの霊のことを憑依霊というのです。つまり、人間界に起こる不運な現象を起こす原因として、憑依霊による憑依現象が非常に多く見られるのです。
霊障とは霊的な原因によって起こる様々な障害ということでありますから、憑依現象によって惹き起こされる病気、災難、不幸、不和、経済的困難、その他、諸々の不運現象のことを包括して称するわけです。
憑依現象は未体験の人々には実感として仲々理解しにくいことでありますが、一度検査(霊査という)をうけて体験するか、傍で観察していると、憑依霊がでてきますからその実態を理解できるようになります。
憑依する霊として、人霊には死せる人の霊(死霊)と生きている人の霊(生霊)があります。「まさか」と思う方も多いと思いますが、事実でありますから正しく理解しておいてください。
自然霊といわれるものは、この世、三次限の世界には肉体をもって生れて来ない霊で、四次限の世、つまり幽界、霊界で生れ、生活している霊のことです。このような霊としては、白狐霊・白蛇霊などの神の眷族霊、それらの中で穢のために下層に落ちている下級霊、天狗霊などがあります。
動物霊といわれるものは、この世に肉体をもって生れてきたことがある霊で死んだもの(死霊)と生きている霊(生霊)があります。狸、馬、牛、犬、猫、ウサギ、蛇、ガマ等多くの動物が憑依する力をもっています。私の取り扱ったケースでは蛇、狸、馬、犬、猫などが比較的に多くありました。
なお、蛇霊の中には、人霊が幽界入りしてから蛇化したものも多くみられます。その他の動物霊と称するものの中にも人霊が動物霊化によって、幽界の動物霊と融合してしまったものなどもあります。これらの霊は本来は人霊でありながら、想念、感情、動作が動物霊並みに低いもので、特に感情が強くでているのが特長です。取り扱いや処置には大変苦労するものです。
憑依の目的は頼っている場合、愛着がある場合、怨んでいる場合、怒っている場合、悲しんでいる場合など様々ですが、未浄化の状態にある霊が憑依霊になっておりますから、何れの場合もマイナスの現象がでるものです。この点については本書の次の項目以下を参照して下さい。
人体への憑依部分について述べますと、腰、背中、肩、首、後頭部などが共通的部分であります。頭頂部もかなり多く、その他は躰全体の何処にでも憑依しています。憑依の拠点は一個の霊が一ヵ所と定まっている訳ではなく、一個の霊が数ヵ所に憑依の拠点(憑依巣)をもっていることがあります。憑依は霊的なものと生理的なものとが巧みに結びついた現象であり、人体浄化と神霊治療をおこなう上で知っておかねばならない重要な知識であります。
憑依について、「病霊憑依は病者の霊体の曇り部分に限られる」という説がありますが、私の体験から考えますとその説のような一面もあるが、むしろ「病霊に憑かれたことによって病霊のもっている痛みが憑かれた人の体の部分に病状として現われてくる」という方がより正しい説明であると思います。つまり、憑依霊の作用があって憑依を受けた人の霊体に曇りが正じてくることが多いのです。
人間霊の憑依現象により現界の人間に霊障をもたらす状況について述べてみましょう。まず憑依する主体には死霊と生霊があることは先に述べましたが、多くの場合は死霊の憑依が一般的で、生霊の場合は事例としては比較的に少ないものです。
死霊は一般には子孫や身内の者に憑依することが圧倒的に多いもので、ほとんどの家(というより全部といった方がよい)には未浄化の先祖霊、身内霊がおりますから、一家の個人個人で先祖や身内の未浄化霊の憑依をうけていない人はないといえるでしょう。憑霊の知識が貧困な現代では、このような言説は通用しないといった状況であり、あるいは憑依の感覚が乏しい現代人にはこういわれても、どのような状態が憑依されている状態なのか全然判らないと思われます。
死霊は時として他人に憑依することもあります。身寄りのない死霊、子孫が絶えてしまって先祖祀りをする人がいないような場合には、浮浪霊として他人に頼ろうとします。また、怨念のある死霊は怨みをうけた人やその子孫に対して、強い怨みの想念をもって憑依しているものです。
生霊の場合は多くは怨念、羨望の念、怒りの念が多いものです。これらの対象は家族、身内、他人を問わず、誰れ彼を問わず相手に向けられるもので、大変怖しいものであることを心得て下さい。
さて、話を前に戻して、人霊憑依の中で最も多い先祖霊の子孫への憑依と、身内霊の憑依について若干の説明を加えてみましょう。
第一章業因縁の正しい認識の部分でも述べたように、先祖霊がもっていた因縁は多く子孫への憑依という形で引き継がれてゆくものです。この因縁継承の連鎖は浄化という形で切断しない限り、竹の根が地下をどんどん延びてゆくように、際限なきほどに子孫の血統、霊統をたどって受け継がれてゆきます。
従って、先祖が積んだ罪穢は子孫の上に大きな霊的、精神的、肉体的負担となってかかってきます。先祖霊が憑依しつつ自らの非を悟って浄化の道へ進んでゆかぬ限り、因縁の持続、憑霊による霊障は終了しないことになります。事実を知るほどに先祖と子孫、霊の世界と現実の世界の間に、密接な関係、おそるべき因果関係が存在することを思い知らされるのです。
私のところには、重い病気で医師に見放された人々、または医師の治療を十年、ニ十年と受け続けても治らないために、医師の治療をうけることをあきらめた人、様々な療法をおこなっても効果がないためにやめた人、色々な運命家や霊能者の門を叩いたが納得できない人々など、ほとんど自らの病の回復に自信を失い、自己の運命の目途を失った方々などがみえられますが、これらの人々の中には、非常に辛く厳しい先祖霊からの持越因縁が潜んでいることを発見します。
十八年来の頭痛で悩み抜いたご婦人には、熱病で狂い死にした先祖霊が憑依していましたし、ニ十年来のノイローゼに苦しんだ壮年の男子には先祖の自殺者の霊が憑依していました。
手足がきかないご婦人には老いて手足の自由を奪われ、病み苦しんで死んだ先祖の老婆が憑いていました。眼病で治療を受けながら悪化してきたご婦人や老人には眼病で死んだ先祖の霊が憑依しておりました。
生死の境を往来し医師も見放した老婆には交通事故で亡くなった愛児の霊が憑依しておりました。強いゼンソクの子供さんには同病で亡くなった曽祖母の霊が頼っておりました。また、医師にも見放された腰痛の婦人には同病の祖母霊と水子が憑いていました。
これらの例はほんの一部であり、列挙すれば際限がありません。多くの先祖霊や身内霊が悩み苦しみながら、子孫の上に憑依して多くの霊障をもたらしているのです。それは通常の手段では容易に防禦できないものです。
白狐は稲荷ともよばれて稲荷の五柱の大神様、[宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)、佐田彦大神(さだひこのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)、田中大神(たなかのおおかみ)、四之大神(しののおおかみ)]の眷族(家来)であります。それは自然霊で霊界人というべきものです。
白狐の使命は稲荷大神にお仕えして、正しい人を助けることにありますから、本来の任務は非情に尊いものであり、重大な役目を与えられているものです。
白狐の職務は五穀食物をつくり育てることから、商売繁盛、商取引を助けること。現実界万般にわたる人間の生活と幸福を守ること。不浄を被ってくれる。人を正しい方向に導いてくれる。など、大きな広さと深さをもったものです。つまり、稲荷大神の御神徳を具体的に実行する任務を負っているわけです。
したがって、白狐はこれらの仕事をするために神様から素晴らしい神力、霊力を与えられています。白狐の霊視力は百里先のことでも見わけることができます。また、時間的にかなり先のことでも当てることができるものです。霊聴力も人霊より遥かにすぐれており、走行の速さも百里も一とびの早さです。
白狐の歴史は古く、天孫降臨の時は佐田彦(猿田彦)大神に従って皇孫ニニギの命の稲穂を奉ったもので、太古の昔から存在していたものです。白狐霊で遠津御祖大神(とおつみおやのおおかみ)にお仕えする狐霊の浄化されたものを「ソホト」とよびます。また、稲荷大神にお仕えする白狐のことを言霊で「イザスサチ」といいます。
正しい神仕えの白狐は、人を助ける際には一時的に憑依して霊力をもって人力をカバーしてくれますが、通常は憑依せずに正しい人を見守ってくれています。したがって、正しい心をもって暮す人には、稲荷大神の命によって大変大きな加護を与えてくれます。
白狐は昔から人間の現実生活に非常に密接な関係をもってきましたし、現在生きている人々にとっても日常大変大きな守護をされています。格別に稲荷大神を信仰していない人でも、皆それぞれ厄介になっていることは間違いありません。
白狐は稲荷神社などにゆくと陶器製の狐型の白体として置かれていますが、実態は霊体であるため目に見ることができません。そのため、白狐の実在性に疑問をもたれる者も少なくありませんが、神事、霊能に関係する者にとっては疑いの余地はありません。白狐勧請の儀式によっておよびすることができるものです。
以上のところでは正しい白狐のことについてあらましを述べましたが、これは落ちて穢れた白狐(というより黒狐とよんだ方がよいかも知れない)の霊障を説明するに当たって、正しい清浄な白狐と、あやまって穢れている元白狐とを混同しないための配慮から述べたものであります。
落ちて穢れた白狐とは何か、それは元々稲荷大神の正しい眷族であったものが、何等かの理由で穢れて、神使いの軌道から脱線してしまい、自分勝手に放浪している者、あるいは、邪神の手先となって悪作をしている者をいうのです。
これらの穢れた白狐は人間に憑依して様々な操作をしています。元々霊力が強く、憑依能力をもっていますから、生きている人に憑いて人をあやつるのは朝飯前のことといってよいほどです。穢れの度合いが比較的に軽い者は、人間の中へ入ってともに修業をしている者もあり、人間に対してマイナス面とともにプラスの面を与えていることも屢々あります。この種の白狐憑依は目立った実害がありませんから、霊障としてとり上げることもない程度のものです。
しかし、穢がやや進んでいるものは色々な霊障を現わしてきます。私のところへ見える憑霊された方々を例にとってみても、病状は実に様々です。病名でいえば四百四病全部揃っているといってよいでしょう。頭痛、眼病、耳、鼻、喉病、顔面神経痛、肺、心臓、肝臓、腎臓、胃、腸の痛み、脊椎、腰の痛み、手、足の痛み、リユウマチ、神経痛、自律神経失調、不眠、精神病など色々な病状を現わしているものです。
落ちた白狐による霊障は大変根強いものや病状の激しいものが多いので、長年医師にかかっても回復しないもの、益々悪くなるものが殆どです。正に「医者の手放れ」というような、手に負えないものが多いのです。医療を長い間受けても治してもらえない焦りから、方々をめぐりめぐって私の所へ訪れる方々の話は誠に悲惨な苦斗の物語りばかりです。その中に占める落ちたイナリの被害は驚くべき数にのぼっています。
来訪される人々のほとんどは、自分が悪しきイナリの憑依をうけているとは思っていません。以前から自覚していた人は私の許では今までたった二人しかおりませんでした。落ちた白狐の害は万物の霊長といわれる人間様が知らない内に、やすやすと憑依されて害を惹き起こされているのです。落ちた白狐の害は病気の分野だけではありません。家庭内の不和抗争、仕事上の失敗、身内での対立、他人との不調和など広範囲に拡大されています。それも、音もたてずに、静かに強力に魔力を滲透させているのです。この鋭さ、強靭さには全く歯が立たないような一面がみられます。
落ちたイナリの処置については、専門家ともいうべき霊能者も、その多くは手がだせないといった状態です。ソフトな宗教界では全く手に負えないというべきでしょう。現時点でこの問題処理の出来る宗教家は、稲荷社関係の一部の神官を除いては存在しないといってもよいでしょう。恐らくは、稲荷社内でもほんの一部の神職の方々しか出来ないといってもよいのではないでしょうか。
話を戻して、落ちた白狐という現象はどうして生じたのでしょうか。私は先に、穢れた白狐は、正しい眷族であったものが何等かの理由で穢れて神使いの軌道から脱線したものであることを述べましたが、その具体的な形を説明しましょう。
稲荷信仰はかなり古くからありました。伏見稲荷大社が元明天皇の和銅四年に鎮座とあり、同社につたわる一千年以上前の神像の絵姿にも、稲束をかついだ稲荷の姿が描かれている由であるから、大変昔からの信仰であったわけです。
降って、江戸時代の半ば以降、今から二百年前頃のこと稲荷信仰が急激に盛になり、稲荷大神の祭祀が全国化して、稲荷神社は三万を越えるほどになりました。さらに、各家々でも屋敷神、家の守り神として祀るようになり、稲荷の勧請が盛になったわけです。これは、稲荷大神の現界守護のご神徳を頂きたいとの願いによったものでしょう。
稲荷信仰は誠に良いことであり、その守護、加護は大変なものでありますが、問題は祭祀の非継続性と欲ばった願いにあります。勧請した代の先祖が死んで代を経る毎に、後継者が祭祀を維持しないでそのままにしておく、ひどいものになると神祠、霊札を廃棄してしまうなどのことがあったわけです。
御承知と思いますが、稲荷大神を勧請し祀りますと、その時は必ず眷族の白狐がついて見えます。最低一体、通常二体はついて見えるものです。そして、家々に祭った大神のご分霊に奉仕するとともに、その家の人々を守護されます。極めて忠実に、極めて精力的に働かれるものです。そして産業を助け財産をつくるために奮斗されます。人間はある程度成功すると自力でやった気持になり、稲荷の加護を見忘れがちになります。代が移っていくと、信仰心はうすく、築かれた財の上にアグラをかくようにもなります。
こういう状態になった時、精一杯働いた白狐の心情は如何なものでしょうか。しかも、無信仰の果に子孫が神祠、神社を拝せず、またはすててしまったとしたら、眷族白狐の面目はまるつぶれとなり、もとの所へ帰るすべもなく、悲しい放浪の旅に出ざるを得なくなるのです。こうして白狐は穢れてゆくのです。いや、人間によって穢されてゆくのです。
穢された白狐達を浄めて救いあげてゆく際に、私はこの種の彼ら、彼女らの悩み、苦しみを数多く聞きました。それは、人々に憑依して人々を苦しめ、痛めつけていた憎きヤツラの面影ではなく、人間によって追いつめられ、踏みにじられ、ズタズタにされてしまった可愛想な被害者としての姿でありました。
キツネ(実質は落ちたイナリがほとんど)は人を化すという。事実、化し、だまし、迷わし、人々を散々な目にあわせている。憎みても余りある一面を確かにもっている。そしてその事を如実にやっている。けれども、元々は人間が彼ら、彼女等を化し、だまし、迷わせた元凶であったことが判ったのであります。そして、かって加害者であり忘恩の徒となった人間に、落とされたイナリが反撃している姿が現在のイナリ公害の実相であることを知ったのでありました。
憑依状況についてみると、穢れた白狐は一体で百人、二百人、三百人、四百人といった数の人間に対して、分霊化して憑依する力をもっています。一体のイナリが一人の人間にのみ憑依しているケースは全くないでしょう。
あなたが若し穢れた白狐に憑かれているとしたら、同じ白狐霊に憑かれている別の人が恐らく百人以上いると思っても間違いありません。霊力の強いものは五百人以上、特殊なクラスになると千人の人間にも憑依する霊力をもっているといわれます。従って一体の白狐を落して穢すことは、多くの人間を穢すことになり、霊障汚染をまき散らすことになるのです。
こうして伝播された穢れた白狐による人間の被憑依率は一体どれ位あるものでしょうか。白狐界の有力な方から伺ったところでは、人間の三~四割が穢れた白狐の憑依をうけているというのです。百人の人がおれば三十人から四十人の人が落ちた白狐による霊障発生の対象になっているわけです。誠に驚くべき事実であります。事実、私のところへお見えになる方々の実態は、実際にこの言葉の正当性を裏書しております。
白狐を落さないためにはまた、稲荷大神に過大な欲望をもった祈願をしてはなりません。白狐は純粋なものですが、反面単純なところもあり、人の願いを過分に引受けてしまうことも多いのです。大変お人よしのところがあります。ところが、過分な人の願いを成就させようとして無理する結果、自からが穢れてしまうのです。穢れればお定まりのコース、落ちてゆきます。願望を成就して貰った人間は当面は万々才ですが、白狐を汚した反動は如実にかえってきます。しかもその因縁は一代、二代、三代と次々に持越され、折角築いた財産は失われ、様々な凶災がプラスされてくるのです。
白狐は、神の使者であり神の力の一部を成すものですから、人の心を読んで人間の必要をよく知っています。家の祭神に仕える白狐だからと言って、過分な願いや無理な望みを叶えてくれと祈ってはならないのです。
一担落ちてしまった白狐を救いあげて神界へおかえしすることは大変至難な業です。しかし、憑依をうけている人々を救うには、同時的にこれらの白狐を救わねばなりません。今までは、穢れた白狐が憑くと痛めつけるとか、追払うとか、特殊な霊能者は収容所へ送ってしまうなどの方法で対処してきました。しかし、最もよい方法は浄化して神界へお返しする方法です。この手法は従来おこなわれてきた事実を私はまだ知りませんが、私は浄めの過程でこの方法を体得し、神界の御指導と御加護の下に実施しております。
この手法を開発したことによって、従来、穢れた白狐に憑依されて救済不能になっていた重症の霊障をうけた人々を、数々お救けできるようになりました。これは稲荷界と人間界双方にとって大変嬉しいことであります。
この背景には、佐田彦大神(猿田彦大神)の深い神仕組があられたことと拝察しております。そして、稲荷神界全体の厚い御加護の賜物と信じて疑いません。それは私が開発したというよりも、深い神慮によるものというべきであります。
落ちた白狐の霊障は重傷者が多いと述べましたが、その特長は精神を障害される者が多いことです。現代精神病の内、恐らくは過半数が狐霊の憑依に関係しているのではないかと考えられます。
人間界の救いと稲荷界の救済と向上をはかるために、落ちた白狐を浄化して神界へお返しする手法を、より多くの人々に知って頂きたいと願っております。
竜神の概念は、形にみえる形態としては気流、海流からみみずまでといわれておりますように、ピンからキリまでの幅があります。目に見えない霊的な存在としての竜神は、宇宙創造・支配の大神達から、その眷族竜神の末端に至るまでの範囲があります。従って、一口に竜神と申しましても霊格によって高低が色々あるわけです。
霊格の高い竜神は自然を創造化育し、管理運行なされている神々で、自然の一部であり、神の分霊を分かちもっている人間をことの他守護されている方々であります。大国主大神は出雲竜神とよばれ、幽界の主宰をなされておられ、大物主大神は大和の三輪山に鎮まられて精霊界の統括をなされておられます。弁天様とよばれる弁財天も竜神として知られ、財運の神様として有名です。これらの竜神系の神々様は稲荷系の神々様と並んで、庶民の生活にとって縁の深い神々です。
眷族竜神とは、これらの大神様にお仕えしている家来・お使いの竜神のことです。大物主大神様の眷族が竜蛇であること、弁天様のお使いが白蛇姿をとっていることは一般にもよく知られているところです。
これらの眷族は霊体であって、自然霊でありますから、現実界に住んでいる蛇とは異るものです。現物の蛇と混同しないことです。ただ、現実の蛇が霊化した場合には、精霊となって大物主大神の司配の下に入るわけですから、この辺のことは正しく理解しておくべきことです。
正しい眷族竜神は正しい白狐と同様に、主神に代えて正しい人々を守護するお役をもっており、その卓抜した霊力によって海を守り陸を守り、雨を降らせ風を吹かせ、自然を祓い浄めて万物を化育し、人間の幸せをつくるために大変な働らきをしております。高級竜神の御力は、これらの眷族の力を通して三次限の世界に表現されるものです。
眷族竜神も、稲荷の白狐と同様に穢れて落ちることがあります。落ちれば現界の人間に憑依して様々な霊障をだします。竜神眷族の霊力は非常に強力であるために、人間の肉体に現われた霊障は非常な重症が多いものです。その特長は首から上の部分、頭、目、耳、鼻、咽喉を痛める場合が多いようです。精神的にはかなり多くの憑依者がいると想像されます。
私が扱ったケースの中でも精神、神経をやられている例が多くありました。それも白狐に憑かれている場合に比べて、数の上では少ないのですが、陰性で悲惨な面が強くあらわれて大変厄介なものです。
憑依の原因は、宅神として竜神を勧請して祭っていたものを、その後子孫が祭祀を怠ったり中断してしまった場合が多いようです。これは神に対する不敬となるため、眷族を怒らせ、穢したための結果であります。この場合は子孫の上に、かなり長期に亘って災が続くものです。
一例をあげますと、私の所で取扱ったケースの中に、先祖様がO市の弁天様を信仰しており、他地に移り住んだ時に弁天様の御霊も一緒にお移ししました。転地して卸売商を営みましたが業績は目に見えて上り、大きな問屋となったわけです。人も沢山使うこととなり資産も増えました。
ところが、子孫の代になると精神病の霊障がでて参りました。この家の奥様はあちらこちらと霊能者、行者の所を必死にめぐり歩きました。部分的な解決はあるものの、全体としての霊障は益々つのるばかりで、原因も正確には判らなかったのでした。
偶々私の知人でこの方の友人の紹介によって私の所を訪れました。霊査をおこなってみますと、他霊と競合していましたけれども、その中の大きな因縁霊として、先祖が祀っていた弁天様の眷族神がおられたのでした。代を経るに伴い、祭祀が引継がれなかったにもかかわらずこの眷族竜神はこの方の家に止まり、それなりの守護を続けていたのです。しかし、祭祀なきところに眷族は穢れ、いささかの不慢をもつのはやむを得ないことです。この不慢が子孫に対する霊障となって現われてきたのでした。
私はこの眷族竜神の切々と語る想いを聞いて胸の裂ける思いでありました。そこでこの眷族を救けるべく守護神にお願いし、弁天様にご了承を頂いて、最終的には元のところへお還り頂いて処置を完了したのです。
その他憑依の原因として、特に祭祀上の関係がなくとも、その人が霊的波調が合致した場合に憑依されることがあります。
落ちた眷族竜神は滝、川の流れのあるところ、山などに住み、野、街にも放浪しておりますから、人間の心のレベルによって波長が合えば憑依される恐れはいつでもどこにでもあるのです。
私の許に来訪されたH子さんは、日頃人生相談で厄介になっている或行者のところへ訪ねたとき以来精神状態がおかしくなってしまい、それ以来七年もの間脳神経を犯されて苦しんで来たというのでした。この災によって至極幸であった結婚も破れ、以来悶々として過ごして来たというのです。
この病を癒すべく病院にも通院したが一向に治らず、思い余って諸々の霊能者のところをめぐりましたが原因すら判らない状態であったのですが、私のところへめぐって来た時、落ちた眷族竜神の憑依によるものであることが判りました。このことから、憑依の場所が、何とある行者(老巫)のところであるらしいと判明したのです。こういうこともあり得ますので、霊的な問題は大変難しいものです。
祭祀の怠りによる霊障もさりながら、殊更に縁のない場合でも条件によっては憑依をうけることがあり、取り返しのつかない被害をうけますから、日頃から正しい心霊知識をもって対処することが大切です。
人霊による霊障について先に述べましたが、ここでは「動物化した人霊」による霊障というものがあることを説明します。
人霊は、死んで幽界に行っても本質的には人霊でありますが、その想念が低くなった場合には幽体として動物化することがあります。形としては、幽界にいる動物霊の波長と同調して、くっつきあってしまったものという解釈がなされています。
私の体験ではこの様な現象が屢々みられます。特に人霊が蛇化したケースが非常に多くみられます。死んだ後も人霊に怨念がある場合には、蛇化して出てくることが極めて多いものです。
霊査しますと、合掌したまま手首をくねらせて動きます。その形は蛇の首が動きまわる様子そのものです。もともと蛇霊も同じような姿で出てきますが、対話をしているとおのずから、人霊の蛇化したものか、本来の蛇霊か区別がついてきます。
人霊が蛇化したものは強い執念があって、怨恨、憤怒の感情をもっていてなかなか処置しにくいものです。人間関係のもつれや財産上の問題にからんで、抜き難い思いが残っていることが多く、人間の感情の切なさ、鋭さ、哀れさをひしひしと感じさせられます。
このような霊に憑依されますと、生命をねらわれることも多く、頭や、心臓などの大切な急所を犯されたり、正体不明の病気になったり、感情的に依怙意地な現象、偏執狂的な症状がみられます。非常に重症なケースが多く、放っておくと大変危険です。私の所へみえられた方々の中には、危機一髪という状況の方が少なくありませんでした。
こういう霊は自己主張のかたまりで、自分の意志を頑固に押し通そうとして、こちらの説得を容易に受け入れようとしません。本来が感情霊ですから、理づめの道理を説いても通用しないのです。これを話しあいで鎮めることには限度があります。
時折遭遇するケースですが、地獄の奥深い所にいる霊で、寒冷地獄の中にいるものを引きあげてゆく過程で、蛇化状態になるものがあります。それを対話したり、浄霊したりしている中に霊相が向上すると、人間化して参ります。
動物化霊には蛇以外にもありますが、私の体験上は蛇霊体が最も多いため、これを中心に説明しました。
動物霊の霊障もあります。動物霊はほとんどのものが憑依する力をもっていますが、一般的なものとしては、牛、馬、狸、狐、蛇、ガマ、犬、猫、ウサギなどがあります。鳥類の中にも一部に憑依力の強いものがあります。
私の体験では、地域的関係もあってか、馬、狸、犬、猫などが比較的多くありました。馬や狸は地域的な関係から広い意味での土地因縁に関係したものが多く、蛇、犬、猫などは個人的な因縁によるものがほとんどでありました。
動物霊の憑依の第一因は個人的因縁で起こります。これは殺された怨みによるものが多いものです。犬や猫が川に流されて殺されたり、なぶり殺されたりしますと、加害者に対して例外のないほどに憑依して怨みを晴らそうとします。蛇を殺したりしますと非常に強い執念で取り憑きます。この実例は多いものです。
動物霊は、愛着によっても憑依します。可愛がっていた犬や猫の霊が、死後もずっと飼主に憑いて、生前と同じように暮らしている例も屢々みられます。心霊写真などに飼主と白い煙のような線でつながって、犬や猫の身体が写る例があります。死んだペットの犬が飼主の足の方をかゆくしたりして、存在を訴えている実例もありました。
動物霊は例外的に、殊更に個人への怨みもないのに憑くことがあります。これは人間個人の心境により、その心の波長が低下して動物霊の波長に合った時には、特別な因果関係がないのに、そのことだけで憑いてしまいます。憑依体質の人は憑かれやすいので日頃の注意が大切です。体調や心理状態がおかしいと思ったら、信用できる霊能者に霊査してもらうことが大切です。かなり多くの例があるものです。
憑依の第二因は家の因縁で起こります。私が扱った例でありますが、今のK市に一人の猟師がおり山野の狸、狐など棲息する動物を獲っておりました。偶々霊査で出現した霊は殺された狸の家族達で、親子ともにその猟師に獲られたため、当人は勿論、その子孫にも次々に憑依して気狂いにさせて、争いをも起こさせ家を断絶させてしまったというケースであります。
また別に、猟師を先祖にもつN市のある娘さんが、殺した沢山の野狐霊にたたられていたケースがあります。その家の娘さんは明朗元気な人だということですが、先祖の作った家の因縁によって野狐霊の大群に憑かれて、恋人を失う羽目になってしまいました。私が扱ったのはこの恋人に当る男性の霊査をした時、恋しあっているのにつきあいが巧くゆかないということで、調べた結果女性の先祖が殺した野狐霊達の仕返しによるものであることが判ったのです。
また、蛇も殺した本人だけでなしに、殺した人の家族にも憑依することがありますから、子孫に伝播してゆくと家の因縁になることもあります。
時に、動物霊を祀ったりすると、その家に代々居着いてしまい、祀らないと逆に子孫に害をなすこともあります。私が扱ったケースの中に、先祖の飼っていた愛猫の霊がダルマの中に入り、拝んでもらったことから習慣づいてしまい、その後子孫が拝まないために悪作したという例であります。色々なケースがあるものです。
憑依の第三因は土地の因縁から起こります。土地には多くの霊が棲息しております。家を建てる時に地鎮祭をして、その土地に住んでいる様々な霊達を鎮めることは非常に大切なことで、迷信と思ったら大変な間違いです。私の知っているある場所に馬の塚があります。その塚あとは空地のままになっておりますが、その地続きの家々では、馬霊の憑依をうけて様々な霊障が続出しております。その土地と道路一つ隔てたOさんの家族にも被害は屢々発生しました。
また、その土地の前はバス道路になっておりますが、馬霊達の一時憑依をうけて交通事故が頻繁に発生しております。霊査の折にこのような土地因縁による馬霊の憑依が判明しましたので、近所の方々が心配して私を招いて鎮魂供養をした結果だいぶ鎮静しました。さらに近所のOさんが丹念に供養を続けた結果、馬霊は著しく鎮静しました。後日、ある霊能のある女性が私の宅へ来ている時、その件の馬塚の馬霊(代表)が、私とOさんにお礼を言いにきてくれました。
動物霊でも、供養されないもの、鎮魂されないものは土地に止まっていることがあり、そこに家を建てて住んでいる人に憑依して、様々な霊障をだすことがあります。先例にも述べました様に、屍体を埋めた土地は浮かばれない動物霊が苦しんでいることがありますから特に注意が大切です。
動物霊の念もかなり強いもので、霊査すると怒りや怨みの霊はすさまじい形相で出てきます。霊障をうけた時はまず詫びること、供養すること、浄めをうけることが大切です。追い払っただけではすぐ戻ってくるものです。
※正神界の神々から賜る強力な祈願お祓い浄霊パワーと運命の誘導力強化の御守護御導きを賜り、ご相談者とお願いされた方々が問題解決と心願成就を果たされた実例は、すべてノンフィクションの実話でございます。神通霊能者の故笹本宗園は正神界の神々とご相談者・願い出者・崇敬者・信者の皆様との媒体として天命にてお仕えさせていただきました。好結果をもたらした祈願お祓い浄霊力と運命改善の御守護御導きは正神界の神々のおかげによるものでございます。